[未来世紀ジパング]独立問題に揺れるスペイン! ニッポンとのおいしい関係とは!? – 2017年12月18日

未来世紀ジパング
LINEで送る
Pocket

 

こんにちは。ひとりで.comです。

2017年12月18日放送の未来世紀ジパングは「独立問題に揺れるスペイン! ニッポンとのおいしい関係とは!?」と題して美食の街スペインを特集します。

 

ニッポン企業の進出が相次ぐスペイン・カタルーニャ州。楽天は今季、名門サッカークラブ・FCバルセロナとメインスポンサー契約。ユニクロも州都バルセロナに1号店を出店した。しかし、現地では”カタルーニャ独立問題”が勃発。果たして日本企業はどうするのか!?

 

独立問題に揺れるスペイン! ニッポンとのおいしい関係とは!?

 

グルメの街スペインバスセロナで人気のヤキソバ

 

グルメの町として知られるスペインのバルセロナ。バルセロナと言えばパエリアが有名であるが、いまこの街で意外な料理が人気となっている。

 

それが日本のヤキソバである。焼きそばのCMが火付け役となってブームとなり、味の素が現地で販売しているカップ麺や日清食品の焼きそばが大ヒットとなっている。

 

 

 

人口160万人のスペイン第二の街バルセロナ。この街といえば名門サッカーチーム:FCバルセロナ(通称バルサ)である。このチームのスポンサーに今年の夏から楽天が名乗りを挙げた。スポンサー料は4年間で260億円にものぼる。

いま、バルセロナにこぞって日本企業が進出している。

 

バルセロナの一等地に君臨しているのが、アパレルショップ世界最大手のZARA。その向かいには世界2位、スウェーデンのH&Mが軒を連ねる。さらにこの激戦区に日本のユニクロが店舗を進出した。4年の準備期間を経て満を持しての進出である。オープンにはファーストリテイリングの柳井正社長も訪れていた。

以前、スペインを訪れた際、ZARAのビジネスモデルに衝撃を受けたのだという。そのZARAに今回真っ向からチャレンジするのである。価格は輸入コストを鑑みて日本よりも1割〜2割増しの値段で設定されている。

対するライバルZARAはスペイン国内で430店舗、全世界で2,200店舗を構えている。流行のファッションを次々と展開していくファストファッションの草分け的存在である。スペイン国内では、ZARAを愛するいわゆる”ザラジョ”が溢れている。

ZARAはデザイン性の高い商品を2週間ごとに入れ替えて高速回転させる方式をとっている。品質の高いものを1着買うよりもZARAで2着買うほうが流行の最先端にいられるので良いという人も多いのだという。

 

 

 

スペインの独立問題

プチデモン
プチデモン

先日、ニュースでも騒がれたスペインの独立問題。実はこの問題、日本にも大きく関わりがある。独立を訴えているカタルーニャ州は州都とバルセロナに持ち、人口は400万人以上、GDPはスペインの20%を占めている。さらに日本企業もおよそ180社ほど進出しているのである。

 

カタルーニャ州にある東洋紡が買収したスピンリアクトという工場。ここでは、健康診断などで使われる血液検査の診断薬を製造している。

この診断薬は、細かい、かつ正確な手作業を必要とする。こうした細やかな作業がカタルーニャ地方の人には得意であるため、日本企業が得意とする繊細さとマッチしているのである。

 

さらに、日本の自動車部品企業ニチリンが買収したハッチンソン・ニチリン・ブレーキホーセズでは100年前から自動車のブレーキに使われるホースを製造している。ここでも従業員はきっちりしており、日本の製造技術とマッチしているのである。この工場で作られた製品はECやアフリカ諸国に輸出している。

 

2017年10月、カタルーニャ州はスペイン政府の妨害を受けてもない、住民投票を行い、賛成多数で一方的にスペインからの独立宣言を行った。その立役者が前州首相のプチデモン氏である。これに対してスペイン中央政府はカタルーニャ州議会を解散させ、プチデモン前首相らを国家反逆罪などによる逮捕状を出したのである。

現在、プチデモン氏はベルギーに逃亡し、そこから世界各国に独立を訴えているのである。

 

カタルーニャ地方は、もともと地中海の商工業や貿易で発展してきた。そこにスペイン軍が侵攻し1714年に占領されたのである。これによってもともと国家として独立していたカタルーニャは崩壊し、スペインに吸収されたのである。

さらに1939年以降、独裁者フランコによって、カタルーニャ語の禁止や歌の禁止を余儀なくされている。

 

 

 

スポンサードリンク

世界一の美食街、スペインのバスク地方

 

スペイン北部にあるバスク州のサン・セバスチャン。人口18万人の小さな街だが、今この街で美食が沸騰している。年間で訪れる観光客の数は人口の10倍以上の200万人。

ここは世界一の美食街として名を馳せている。

この街が美食の街となったのにはワケがある。

かつては船用族の保養地として栄えたサン・セバスチャンで国内屈指のリゾート地として人気だった。しかし1960年代からバスク独立運動が激化した。武力で独立を果たそうとしたテロ組織が台頭した。それによって観光客も激減してしまった。

そんな状況をシェフたちが見かねて”食の革命”を行ったのである。それが”ヌエバ・コッシーナ”という伝統料理に革新を与える運動である。その運動が広まると食のレベルが一気にあがったのだという。