[カンブリア宮殿] ( 日本マクドナルド / 西武グループ ) 年忘れ”大復活”スペシャル そして再びブランドは輝き始めた! – 2017年12月21日

カンブリア宮殿
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年12月21日放送のカンブリア宮殿は「年忘れ”大復活”スペシャルそして再びブランドは輝き始めた!」と題して日本マクドナルド社長 サラ・カサノバさん、西武ホールディングス社長 後藤高志(ごとう たかし)さんが登場します。

 

 

どん底の経営危機から、今年大きな復活を遂げた企業の”復活劇”を描く、年末のスペシャル企画。
取り上げるのは、品質問題などで過去最大の赤字に転落した日本マクドナルドと、様々な不祥事で上場廃止に追い込まれた西武グループ

それぞれの業界で屈指の強さを誇った「マック」と「プリンス」のブランドは、いかにして復活を遂げているのか…新たな強さを身につけた改革の全貌に迫る。

 

年忘れ”大復活”スペシャル そして再びブランドは輝き始めた!

 

日本マクドナルド:どん底からの復活劇

 

いま、マクドナルドが大変貌を遂げている。新店舗では、マックカフェというカフェスペースが併設されており、子連れ専用スペースまで設けられている。

一時期売上が低迷した日本マクドナルドだが、いまV字回復を遂げているのである。

マクドナルド売上推移
マクドナルド売上推移

 

2013年、日本マクドナルドの社長に就任したのがサラ・カサノバさんである。1965年カナダ生まれのカサノバさんはロシアや東南アジアのマクドナルドで勤務。客の心をつかむマーケティングを得意としてきた。

カサノバさんが就任してからというもの、女性目線の商品開発としてえびフィレオを開発したり、メガマックを開発し脚光を浴びてきた。しかし、そんななかマクドナルドは存亡の危機とも言える大事件を起こしてしまった。

それが中国工場における消費期限切れのチキンの使用である。問題の鶏肉はのちに日本には輸出していなかったと中国側が日本の厚生労働省に報告したが、この問題をきっかけに客離れが深刻化した。その後、異物混入問題なども発生し、2015年の最終損益は349億円の赤字となった。

 

復活戦略の柱になったのが、レギュラーメニューとして2017年4月に発売したグランシリーズである。このグランシリーズが売れに売れている。発売当初の5日間だけでも300万食を販売している。このグランシリーズでうけているのが、バンズである。

 

グランシリーズ
グランシリーズ

 

このバンズは協力メーカーである埼玉県のイナ・ベーカリーがとんでもない労力をかけて開発したものである。このバンズ、スピード重視、全自動が当たり前のマクドナルドのメニューの中でも異例の手作業が作業工程に入っているのである。工場ラインで人間がバンズを丸めるという作業を挟むことによって、ふっくらとした食感を実現している。

 

このグランシリーズ、試作品として200種類以上を製造し、6,000人からアンケートをとり、日本人が本当においしいと感じるハンバーガーの製造を目指したのである。もともとマクドナルドには、お客さんから”おいしさ”は求められていなかった。しかし、ハンバーガーチェーンのトップとして、日本人が認めるおいしさを追求しようと考え、このグランシリーズが開発されたのである。

 

サラ・カサノバさんは、2014年の就任直後から日本全国47都道府県の店舗をまわり、家庭を持つ母親たちの声をひとつひとつ聞いて回った。そして、客の声を経営に活かすため、アンケートアプリ「コド」も開発した。

このアンケートアプリに回答をするとポテトの無料券などがもらえる仕組みになっている。導入以来2年間で約600万件の回答を得ており、現場改善に役立てられている。

 

kodoアプリ
kodoアプリ

 

例えば、レジの横に受取カウンターを設け、スピーディに商品を渡す仕組みにしたのも、お客さんの声があったからである。さらに、店内の清掃が行き届いていないという声に対応するために、ピーク時の時間に清掃スタッフを配置した。

 

 

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サラ・カサノバさんの現場主義の原点

 

1990年代、カナダからモスクワに赴任し、店舗を任されたときのこと。カサノバさんはお客さんの行動に驚いたのだという。なんとお店に入るなり席につき、注文に来なかったのだという。お客さんは注文の方法を知らなかったのだという。

そこで、お客さんの声を聞く事をはじめた。これがカサノバさんがお客さんの声を聞いて回るスタイルになった原点なのである。

そんなカサノバさんが耳を傾けるのは、お客さんだけではない。マクドナルドの本社では、毎月、女性社員との交流の場”サラズカフェ”を設けている。社員たちの仕事の悩みに真剣に耳を傾けているのである。

 

 

マクドナルドのスローガン:Power of One

POWER of One
POWER of One

マクドナルドの本社では、店長たちを集めて定期的にハンバーガー大学という研修が行われている。サラ・カサノバさんは時間があればなるべくこうした研修の場に顔を出し、社員にとって自分が身近な存在となるように心がけている。

大事なのは現場との一体感。現場と経営陣の距離が離れてないようにすることが重要なのだという。

そんな想いを表すのが「Power of One」というスローガンである。これはマクドナルドに関係するすべての人達が心を一つにすること。

 

そんなPower of Oneのスローガンは、現場の売上貢献にも大きな効果を生んでいるという。チームワークをより高めることによって、商品の提供時間の短縮につながり、それが結果として売上向上にもつながっているのだという。

そのチームワーク構築のために行ったのが、全国のマクドナルドで競い合っているオリジナルダンスである。全国の店舗から食品の納入業者まで、ダンスを通じてひとつになる。14万人が一致団結することこそが、力に変わるのだという。

 

 

 

 

 

トップダウン経営から現場主義へ、西武グループの峻別と集中による改革

 

今年大復活を果たした西武グループ。その陣頭指揮をとるのが西武ホールディングス社長 後藤高志さんである。西武グループは、鉄道はもとより、リゾート施設の運営、プリンスホテルなどを運営する。

2005年、世間を揺るがしたのが、西武グループを作り上げたカリスマ:堤義明氏の逮捕である。当時、有価証券報告書の虚偽記載など証券取引法違反の疑いだった。全国にホテルなどを持ち、その有利子負債は1兆4,000億円に達していた。そんな西武が上場廃止に追い込まれた。

そんな西武グループの再建のためにみずほ銀行から送り込まれたのが後藤高志さんである。

 

そして打ち出したのが、「峻別と集中」である。後藤高志さんは全国の物件を見て回り精査。最終的にホテル・スキー場など167の事業所を93に削減した。それは、観光地箱根であっても特別扱いはせず、旧プリンスホテル箱根別館も峻別の対象となり、2012年に営業休止とした。

 

後藤高志さんは、プリンスホテルの数を30棟減らしたにも関わらず、売上をV字回復させるという離れ業をやってのけたのである。

 

後藤改革その1:冬も稼げるオーシャンビュー

大磯プリンスホテル
大磯プリンスホテル

都心から車で1時間ほどの大磯プリンスホテル。夏にしか稼げないホテルだった。しかし今では冬でも稼げるホテルに変貌を遂げている。

今年オープンさせたのが、海を展望できるオーシャンビュースパである。サウナや温泉から海が望める形に変え、冬でも楽しめるホテルにしたのである。

 

 

 

後藤改革その2:メインの客層を一変させろ

 

80年代、空前のスキーブームを巻き起こしたのが、苗場スキー場である。当時、流行した「私をスキーに連れてって」で若者の出会いの場として人気となった。

しかし、若者のスキー離れにより、ターゲットを大きく変更。若者から家族連れをメインターゲットとしたのである。例えば、若者向けに用意されていた室内プールは取り壊し、まだスキーができないキッズ向けのスクールにした。

さらに、小学生までのリフト券を無料とすることで、家族連れを呼び込んだのである。

 

 

後藤改革その3:5倍稼げるビル

東京ガーデンテラス紀尾井町
東京ガーデンテラス紀尾井町

 

東京ガーデンテラス紀尾井町は、後藤高志さんの改革の集大成である。かつてここあったのは、赤プリこと、赤坂プリンスホテルである。かつては若者がクリスマスを恋人と過ごすために予約が殺到していたが、バブルとともに収益が悪化。2011年3月に営業終了を決断したのである。

単純に建て替えるだけでは目新しさがなくなってしまうため、複合施設として生まれ変わらせたのである。オフィス、住居、ホテルを共存させることによって、いまや赤プリ時代とくらべても5倍の収益を出せているのだという。

 

 

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指示待ち族から改革の戦力へ

 

大改革を成功させた西武グループ。その復活劇を象徴するもののひとつが新高輪プリンスホテルで提供されているビュッフェにあらわれている。

人気の秘密は、そこかしこにいるシェフの存在である。シェフがその場で調理してくれるスタイルはライブ感覚が目新しさを呼んでいる。

このスタイルを考えだしたのは、現場の人間である。

 

現場の意見を反映させる事をすすめている後藤高志さん。こうした現場主義をはじめたのは、就任当初現場を回っていた時に感じたあることがきっかけとなっている。

当時の西武グループの社員は実直だったが、自らリスクを取って行動するという感覚を持ち合わせていなかったのだという。それが長年、トップダウンで成立していた弊害とも言える状況だった。

 

そんな現場社員から自ら声を上げさせるために作ったのが、ほほえみファクトリーという社内企画である。このほほえみファクトリーでは、現場社員が新規事業を企画することができる。

客が笑顔になる企画を部署の垣根を越えて企画し実行にうつす。これを繰り返すうちに指示待ち族が改革の戦力に変わっていったのだという。