[夢職人]シューズ・ミニッシュ 町全体で作るブランド戦略(大阪・生野区の靴メーカーの挑戦) – 2016年10月1日 –

夢職人
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こんにちは。ひとりで.comです。

2016年10月1日放送の日経スペシャル「夢職人」では”町全体で作るブランド戦略(大阪・生野区の靴メーカーの挑戦)”と題して、「シューズ・ミニッシュ」にフォーカスを当てます。

 

テレビ通販をきっかけに海外でも人気が広がったリゲッタを作る町工場「シューズ・ミニッシュ」

 

【目次】

1.有限会社 シューズ・ミニッシュ
2.リゲッタを生み出したきっかけ
3.今後の戦略

 

 

 

 

1.有限会社シューズ・ミニッシュ

有限会社シューズ・ミニッシュは「リゲッタ」ブランドを手がける大阪市・生野区にある靴メーカーである。シューズ・ミニッシュの基本情報は以下。

 

企業名 有限会社シューズ・ミニッシュ
住所 大阪府大阪市生野区巽西1丁目9-24
URL http://www.mini-shu.com/
事業内容 シューズ・サンダルメーカー(製造部門)… 卸のお客様へ商品提供
インターネット販売(小売部門)… 自社サイト・楽天ショップ(Alto Libro)でのユーザー直の販売
従業員数 正社員(役員含む)42名、パート・アルバイト48名
資本金 300万円
売上高 20億(2014年)
代表者 高本 泰朗 (たかもと やすお)

 

 

2.リゲッタを生み出したきっかけ

代表の高本氏は、今のリゲッタを生み出したきっかけについて以下のように語っています。(※要約しているので、事実と異なる部分が少しあるかもしれません)

元々代表の高本氏は、大阪市生野区にある靴下請け企業のタカモト工業所の息子でした。学生時代は自分の将来については特に深く考えずに過ごし、父親から「家業を継ぐか?」と言われ、高校卒業後も親のすすめる東京にある「エスペランサ靴学院」への進学を決めました。

「エスペランサ靴学院」における高本氏はここでも平々凡々の成績で特に目立つこともなく過ごします。専門学校では、周りの人たちが自分よりも年上の方が多かったこともあり、可愛がってもらうことが多かったようですが、その後の就職も決めることなく、卒業し実家に戻りました。

実家に戻った後は、親から特に何も言われることもなかったため、ぼけーっとしていたところ、父親から「靴の本場、神戸・長田に修行に行くか?」と言われ、神戸にある「藤企画」という事務所で、製造メーカーさんから型紙(パターン)の仕事を受けているデザイン事務所にお世話になることになりました。

その後、姉が神戸・長田の靴メーカーの中で5本の指に入るような有名なメーカー(シューズ三福)の息子さんと結婚した後から大きな転機が訪れます。その義理の兄が弟のようにかわいがってくれ、いつも靴の事について熱く語ってくれました。その思いを聞くようになってから、靴に対して情熱を持てるようになり、本格的に修行をすることにしました。

それから約3年、別の事務所も経験したのちに、実家のタカモトゴム工業所に戻ることになります。靴の事について勉強するまでは何もわからなかった靴業界やタカモトゴム工業所の方々の仕事ぶりに少し疑問を持つようになりました。

というのも、タカモトゴム工業所は、広島の大手靴老舗メーカーの下請けの仕事が多く、老舗メーカーが指定してくるシニア向けシューズを作り続ける…という業務がメインであったこと、そして自信が修行を積んできたところと比較すると技術力(使っている工具等も含めて)かなりの差があるという事がわかりました。

しかしながら、特にそれに対して疑問を持つことなくタカモトゴム工業所の人間は仕事を続けていたし、今のまま続けていけば問題ない…と新たな技術を取り入れることや今の仕事を変えることについては否定的でした。

そこで高本氏は自信の工業所に対して以下の2つの改革を実施しました。

【 デザインの改革 】 と 【 現場の改革 】

それを心に広島の親元メーカーに対して「1,980円」 「シルバー向け」というコンセプトは崩さずに新しいデザインをどんどん提案していきました。

それが、親元メーカーにも受け入れられ、親元メーカーは様々な展示会でその新しい商品を出していきました。すると、展示会では「xxx 社」さんが作ったものだから…とたくさん受注が入るようになりました。

ブランドと老舗の信用力の凄さを痛感した一面です。

こんなにもカンタンに成功してしまうのか…と思った次の瞬間から、大きな悲劇が訪れます。なんと、親元メーカーから、「君にデザインした靴を下請けメーカーさんに平等に作ってもらう」と言われました。

とてもじゃないが、言っている意味がわからないですね。そして競合の下請けメーカーが、「このデザインを中国で量産したほうが今より安くできます」と親元メーカーに持ちかけ、そのライバル企業の社長は親元企業の相談役となる…という事態に陥ったのです。

この自体によってタカモトゴム工業所は今まで付き合ってきた親元メーカーの下請けの仕事を失う事になります。

更には職人さんも当然ながら、これをきっかけにタカモトゴム工業所をどんどん去っていきます。これまで下請けとして仕事を行ってきたタカモトゴム工業所なので、靴業界の勝手も正直深く理解できていません。

ここで代表の高本氏は、一念発起し、タカモトゴム工業所から有限会社シューズ・ミニッシュに屋号を変更します(ちなみに、ミニッシュは当時買っていた犬の犬種「ミニチュアシュナウザー」を略してミニッシュという名前をつけたそうです)。

自分たちで靴を作り、ローカルの展示会に出品するようになります。

この時に開発したのが「リゲッタ」です。リゲッタは土踏まずや足の側面などと靴の間に隙ができない用、インナーを工夫。体重がかかる面積を均等化して足の負担を減らした。またつま先部分を反り返る構造にして、かかとからつま先へスムーズに体重移動できるようにデザインしました。

展示会ではある程度評価も受け、受注をもらうことができたのですが、すぐに受注が来なくなります。実は、作った試作品を分解し、その模倣品を中国で作らせ、安い価格で販売していたのです。は零細企業なので、そこまで量産もできません。量産ができないということは規模の経済性も働かないので、他の大手と比較してもどうしても価格が下がってしまいがちです。

展示会に出して、評価をもらってもすぐに模倣されてしまう。しかし、それに打つ手なし…という状況で途方にくれている最中、とある展示会で他のメーカーさんからこう言われました。

 

『いい靴作ってるね~。ただ、偉そうに言うけど、出る展示会を間違えてんじゃない?』

 

高本氏にとっては目からウロコだったそうです。これまではローカルの靴の展示会にしか出ていない。なぜ他の展示会に出ようと今までしなかったのか…。

それからというもの、関係のありそうな展示会という展示会を見て回ったそうです。その中で見つけたのが『東京ギフトショー』。

一見、あまり関係なさそうな展示会でしたが、最後の可能性を込めて、この展示会に出してみることにしました。

 

すると…次の日から鳴り止まない電話。毎日商談に次ぐ商談が舞い込んできたそうです。

 

ここでも出展していた製品が「リゲッタ」でした。こうして2006年、2008年に出展した東京ギフトショーにて、リゲッタの名前を世に広めることに成功したのです。

 

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3.今後の戦略

展示会での成功を機に、今度は通販業界に攻めて出ます。試し履きが必要な靴を通販で売る。また今までの靴業界の常識が通用しない世界で、いまでもチャレンジをし続けます。それだけでなく、TV通販にもチャレンジします。

今では年間96万足の靴やサンダルを売るまでに発展し、いつしか元の下請け工場時代の売上を抜いていたそうです。

また、日本だけでなく、海外での販売もはじめ、その履き心地が評判を生み、海外でも売上を上げています。

 

 リゲッタは突発的に思い浮かんだブランドではない日本の靴業界に対する想い、自分の会社への想い、そんなドロドロした物が集合してできたもの。着実に今の日本人の足元に何が足りてなくて、何が必要か・・・ずっと考えていたら出来上がりました。(中略)

日本で一番有名な靴デザイナーになって、今度は世界で一番有名な靴デザイナーになって 今の僕を知ってくれている人たちに恩返しがしたいです。

 

と高本氏は話しています。