こんにちは。ひとりで.comです。
2016年10月29日の日経スペシャル 夢職人は「親子二代の西陣織〜世界に売り場を創り出せ」と題して、京都の西陣織の企業、株式会社細尾の特集です。
着物離れで廃業の危機!西陣織の株式会社細尾、世界への挑戦
昨今の着物離れと後継者不足で、次々に廃業に追いやられ、西陣織の伝統技術の継承に黄色信号が灯っている。そんな中、京都の西陣織の老舗、株式会社細尾では、西陣織を用いた新しいビジネスモデルを模索。これまでの概念に囚われない、顧客のニーズに応える製品を生み出し、西陣織復活の可能性を探っている。
京都の伝統的先染め織物、「西陣織」とは?
西陣織の歴史は約500年前の室町時代、応仁の乱のときまで遡る。当時、西軍(山名宗全側)が本拠地を置いた地域を「西陣」と言っており、その地名に由来してその名がつけれらたという。10年にも及んだ応仁の乱が終わると、戦火を逃れていた職人が、西陣と東陣にわかれ、京都における営業権を争っていた。
結果的に、西軍の職人を中心に足利家の官となり、そこから「西陣」ブランドが確立されていった。
西陣織の技術自体は応仁の乱のはるか昔、5世紀末ごろから存在していたが、その技術が有名になったのは、応仁の乱が要因だと言われている。西陣の織物は富裕町人の圧倒的な支持を受け、18世紀初頭の元禄~享保年間に最盛期を迎える。現在も西陣は日本の織物の最高峰を占めている。
西陣織の老舗、株式会社細尾
西陣織の老舗、株式会社細尾は創業が1688年。創業より300年をゆうに超える超老舗企業である。その株式会社細尾の基本情報は以下の通り。
企業名 | 株式会社細尾 |
住所 | 京都市中京区両替町通姉小路下ル柿本町412 |
代表 | 代表取締役社長 細尾 真生 |
売上 | 15億3千万円(2016年6月期) |
資本金 | 8,000万円 |
従業員数 | 55名 |
事業内容 | 帯/きもの/和装小物/インテリアファブリック等の企画・製造・卸 |
11代目 細尾 真生氏の海外への挑戦
現社長で、株式会社細尾の11代目である細尾 真生氏。その経歴に海外へのチャレンジの秘密が隠されている。細尾氏は、同志社大学卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。そこで配属されたのは、イタリア・ミラノのアパレル製造卸売会社への出向。
もともと実家の家業を継ぐつもりのなかった細尾氏だが、父親の病気によって、家業を継ぐことになった。ただし、その際の条件として、「海外への進出」を承認してもらう事を挙げた。当時は呉服業が全盛期だった時代で、市場規模も2兆円ほどだった(今は3,000億弱ほど)。
そんな中、海外進出について、社内では反対の声が多かった。呉服業が衰退の一途を辿ると同時に、伝統技術の職人は減る一方。当時は職人による作業も完全分業化(作業工程によって会社も別)されていたため、細尾氏はここの完全内製化に着手をはじめた。
2005年に始まった細尾氏の海外への挑戦。パリの国際見本市に出展したものの、結果は思わしくなかった。そこで、国際的な技術と比較した自社の技術力の高さ、価格帯を徹底的に調査し、ターゲットをハイエンド層に絞ることにした。
転機が訪れたのは、経産省がニューヨークで出展した展覧会である。
「クリスチャン・ディオールの店舗用インテリアとして使いたい」
とオーダーがあった。そして更に、これまで反物基準で幅40センチで作っていたが、様々な用途に使えるように…と幅150センチのものに作り変えた。着物用に使っていた機械も150センチ幅用に変更するなど、大胆な変革を行った。
その結果、シャネル、ルイ・ヴィトンからもインテリア用途で受注した。また、ホテル業界からもオーダーを受けるようになり、ファッションやアート、プロダクトなどの分野にも素材を提供するようになった。ファッション分野では、パリコレクションでミハラヤスヒロが織物をスーツに仕立て、評価を受けた。
プロダクト分野では、ライカのカメラのボディに樹脂加工を施した西陣織が使われるなど、さまざまな企業とのコラボが進んでいる。