[カンブリア宮殿]地方から奇跡のビジネス革命を起こした女性社長SP – 2017年3月2日

カンブリア宮殿
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年3月2日放送のカンブリア宮殿は「地方から奇跡のビジネス革命を起こした女性社長SP」と題して、糀屋本店 社長 浅利 妙峰 氏、気仙沼ニッティング 社長 御手洗 瑞子氏が登場します。

 

地方から奇跡のビジネス革命を起こした女性社長SP

 

塩麹の生みの親、糀屋本店 浅利 妙峰 氏

 

東京銀座に連日人気となっているカフェがある。お客さんの目当ては…豚しゃぶ。だしにたっぷり入れるのは、麹の甘酒である。余分な油が落ち、肉がやわらかくなる。ここは、糀カフェ悠久乃蔵という店。

 

悠久乃蔵
悠久乃蔵

 

糀カフェラテ糀DEパンケーキなど、メニューは糀尽くし。これが体にいいと評判になり、女性客を呼び込んでいる。

 

都心のスーパーマーケットでも麹は大人気で、”飲む点滴”と呼ばれる甘酒が流行っている。

麹はタンパク質や脂質を分解する酵素を多く含んでおり、含まれる酵素は100種類以上。消化を助けるビタミンやミネラルなどを生成してくれる。

きっかけは2011年頃からはじまった塩麹ブーム。塩の代わりに使うことで、肉をやわらかくしてくれたり、うま味を引き出してくれる。

 

塩麹の販売額は、2011年に約2億円だったのが、ブームとともに翌年2012年には62億円まであがっている。

 

糀屋本店

 

塩麹ブームは大分県佐伯市からはじまった。ここにある糀屋本店。1689年創業で従業員は12人。先祖代々糀の販売を家業としてきた。築300年の糀室にて糀を発酵している。

そもそも麹は米や麦、大豆などに麹菌と呼ばれるカビを繁殖させたもので、日本の古くからある酢やみそ、日本酒みりん、しょうゆなどは、麹の力で発酵させて作ってきた。

糀屋本店では、昔ながらの手作業で麹作りを行っている。

種麹と呼ばれる麹菌を蒸した米に徹底した湿度管理の中、混ぜていく。これで4日後には米に麹菌が繁殖し、麹ができる。

 

 

1952年生まれの浅利氏。当時は多くの家庭で味噌などを作っており、どの街にも麹屋があった。しかし、時代とともに味噌が購入品となり、次第に麹が売れない時代になっていった。なんとか麹を復活させなければと思い、麹に関する本を読み漁った。そのうちのひとつ「本朝食鑑」に記されていたイワシの料理法に「塩麹漬け」があった。

この塩麹…ここから試行錯誤がはじまる。塩と麹と水の配分量が難しく、この塩麹の配合には、半年以上を費やした。

そして、ある日、塩麹を生のイカにあえてみると、何日も漬け込んだような深い味わいになったのだ。その時に作った塩麹の比率が…

麹3、塩1、水4の黄金比率

2007年、これを商品化し販売を開始した。

 

塩麹の発売とともに、講習会を行い塩麹を使ったレシピなどを周辺の家庭に紹介した。人気は静かに広がり、4年後には様々なメディアに取り上げられるようになった。麹は「魔法の調味料」と呼ばれるようにまでなった。

 

開店休業状態だった糀屋本店も、活気を取り戻した。

 

 

その後、大手メーカーがこぞって塩麹商品を発売し、全国的なブームが生まれた。味噌のトップメーカーのマルコメもその一つ。塩麹を売り出し新しいヒットシリーズとなった。

 

 

 

 

 

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宮城県の新たな名所:気仙沼ニッティング

 

気仙沼ニッティング
気仙沼ニッティング

 

宮城県気仙沼市。2011年の東日本大震災から6年。復興はまだ道半ばであるが、街は平穏を取り戻しつつある。いま、急ピッチで行われているのが、地盤の嵩上げ作業である。新たなまちづくりが進みつつある。地域の主産業である漁業は、震災前の7割まで回復してきているという。

 

水産加工の会社は、9割が再開にこぎつけている。ミヤカンという水産加工会社は、震災で工場が全壊。一時は廃業を覚悟したというが、助成金を得て一昨年の2015年4月に工場を再建した。

 

 

そんな気仙沼に新たな名所ができている。ここで人気なのが、気仙沼ニッティングという会社。2012年6月に創業された会社で、従業員は2名のみ。手作りの編み物を作っている会社であるが、その編みてはおよそ60名ほどいる。

 

気仙沼ニッティングの御手洗 瑞子氏は、2008年東京大学を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。その後、2010年に民主化直後のブータンへ行き、首相フェローとして、産業育成に携わった。

しかし、2011年の東日本大震災で彼女の進む道が変わった。

いまは日本人として、日本に帰って東北の復興のための仕事をするべき時ではないか

2011年9月、被災地へ向かった。そこでは多くの人が仕事がなく支援を受けて暮らしていた。そこで御手洗氏は「ここで誇りを持てる仕事を作りたい」と考えた。

そんな時に、御手洗氏に声をかけたのが、ブータンにいるときからの知り合いでコピーライターの糸井重里氏である。被災地支援に編み物の会社を思いつき、彼女に打診したのだ。

そして、5年前に気仙沼に乗り込み会社を立ち上げた。初年度から黒字を果たしている。

 

最初は編みて探しから始めた。手袋の編み物教室を開催し、やる気のある編みものができる人を探した。

ニットのデザインは、人気編み物作家の三國万里子氏に依頼。お手本にしたのは、しっかりした編み柄のアランセーター。アイルランド・アラン諸島の名産品である。編み柄が特徴なだけに糸にも拘った。大阪府泉大津市にある泉州羊毛工業とともにオリジナルの羊毛を開発し、柄が浮き立つ事と、重くならないこと、チクチクしないことの3点を実現した。

 

 

気仙沼ニッティングには、大きなミッフィーが飾ってある。これは、ミッフィーの生誕60年記念に依頼されたもので、このミッフィーが着ているセーターは気仙沼ニッティングで編まれたものである。

 

気仙沼ニッティング ミッフィー
気仙沼ニッティング ミッフィー