[ガイアの夜明け]シリーズ復興への道 第20章 立ち上がる!若き担い手たち – 2017年3月7日

ガイアの夜明け
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年3月7日放送のガイアの夜明けは「シリーズ復興への道 第20章 立ち上がる!若き担い手たち」と題して被災地で復興とともに次の担い手を作り出す新たな仕組みを特集します。

 

 

復興を機に若い担い手を…

 

フィッシャーマン・ジャパンと漁業

 

東京の中野は飲食店の激戦区である。その駅前に異色の店がオープンした。それが「宮城漁師酒場魚谷屋」である。

この店には毎日旬の魚が三陸の海から直送されてくる。店のイチオシはまさに今が食べごろの”牡蠣の酒蒸し”。このお店では、毎月漁師が出勤する日を設けており、来店客はこの店で出される海産物を作った漁師と一緒に食事をすることができる。。

この店を経営しているのは、フィッシャーマン・ジャパンという企業。2014年宮城県石巻市で8人の若手漁師が中心となって設立した企業である。設立のきっかけは、6年前の東日本大震災。壊滅的な被害を受けた三陸の水産業復活が旗印である。

そんなフィッシャーマン・ジャパンを支援してきたのが、大手IT企業のYahoo!Japanヤフーは震災の翌年から石巻市に事務所を構えている。この事務所の責任者が長谷川琢也さん(39歳)で、ヤフーの社員でありながら、フィッシャーマン・ジャパンの事務局長も兼任している。

 

2016年3月、その長谷川さんが東京にやってきた。漁業就業支援フェアという新人漁師を募集する大規模なイベントに参加するためである。フィッシャーマン・ジャパンの新たな挑戦は、次の担い手を募集することだった。

 

牡蠣の生産量は震災前の半分にもまだなっていない。ニーズは増えているが、生産者がいないため生産が追いつかない

と長谷川さんはいう。

 

実際に石巻市の漁業就業者は震災前の37%減の状態である。

 

 

被災地で行われるさまざまな企業による支援

 

遠野産ホップ とれたてホップ キリン
遠野産ホップ とれたてホップ キリン

 

東日本大震災から6年、被災地では今でも農業や水産業の支援がさまざまな企業によって続けられている。

例えば、岩手県遠野市で生産されるホップ。これを使って製造されているのがキリンのビールである。キリンは2003年以来、遠野産のホップを使った一番搾りを作ってきました。このホップを通じた繋がりで震災以来、新たな野菜の支援を行ってきた。その野菜が、パドロン。原産地はスペインでビールのつまみとしてキリンが運営する全国の飲食店に提供し販路を拡大。これをきっかけに新しく遠野市で農業を始める人も出てきているとのこと。

 

また、宮城県東松島市の海苔の養殖もそのひとつ。津波で壊滅状態であったが2012年に生産を再開した。ここで活躍しているのが、海面に浮いている黄色い装置。これを提供しているのは携帯電話会社のNTTドコモである。

NTTドコモは海苔の養殖に大切な海水の温度や塩分の濃度を測るセンサーを提供している。計測したデータはアンテナを通じて陸地に送信される。

 

 

 

 

弟子入り制度で担い手探し:フィッシャーマン・ジャパン

 

宮城県牡鹿半島。ある施設の開所式が行われていた。漁師の研修生用のシェアハウスである。古い民家を改修し最大4人が住み込める。仕掛け人はフィッシャーマン・ジャパンの長谷川さん。この事業には石巻市や漁協も協力している。

シェアハウスからは30分以内で、フィッシャーマン・ジャパンが提携する漁港へ研修に行くことができ、そこで研修生として働く。そして漁師と合意すれば従業員として勤務することができるという仕組みとなっている。

 

 

フィッシャーマン・ジャパンの漁師たちは、Yahoo!ショッピングのサイトを通して、水産物を直販している。例えば、Lサイズの生牡蠣は20個3,996円。

 

フィッシャーマン・ジャパンを通じて漁業の研修を受けている若者は、将来的に漁業で独立できればと考えていたが、月日が経つにつれてある悩みにぶち当たっていた。それが「漁業権」である。

 

独立してカキ養殖を行うには、区画漁業権というものが必要になるという。海を細かく仕切り、どこで牡蠣の養殖をしてよいのかを定めているもので、これを取得するためには、漁協の「正組合員」になることが前提となっている。

しかし、組合員になるには、同じ浜で働く漁師全員の合意が必要で、これが困難を極めるという。これまで地元で漁業を営んできた人や、親族であれば取得することはそれほど困難ではないが、全くの新規となると今まで前例がない状況だという。

従業員としては働く分には、この漁業権は必要ないが、独立したいとなるとこの漁業権がネックになってしまう。

 

 

 

宮城県のブランド化される魚や野菜

 

銀鮭 銀王
銀鮭 銀王

 

海のものから山のものまで食材が豊富な宮城県。復興のためにさまざまな食材がブランド化されている。

宮城県女川町で養殖されている銀鮭はほとんど国産のエサで育てられ品質も高かったのですが、震災前までは知名度が低かった。そこで震災で流された生け簀を復活させた際に「銀王」と名付けブランド化した。そして刺し身として食べられることをアピールした。その結果、全国の飲食店や消費者から注文が増え続けている。

 

仙台白菜
仙台白菜

 

そしてもうひとつが仙台白菜。大正時代から作られていた宮城の伝統野菜であるが、近年、生産量が減っていた。しかし津波の塩害あったような場所でも生産できる事から改めて注目が集まっている。仙台白菜はやわらかくて甘みがあり、復興のシンボルとして注文が相次いでいる。

 

 

 

 

ITのチカラでいちごを管理。農業生産法人GRA

 

東京新宿の京王百貨店で一番大きな棚を構えているのが、この時期旬のいちご。中でも目を引くのが、一粒単位で売られている宮城県産のミガキイチゴ。なんと一粒1,080円。このいちごにはすごい秘密が隠されていた。

 

 

 

宮城県山元町、この街に全国から人々があつまるいちご狩りハウスがある。完全予約制でキャンセル待ちがでるほどの人気ぶりである。

運営しているのは、農業生産法人GRAGRAの社長の岩佐さんはこの山元町出身で24歳の時に東京でITコンサルタント会社を設立した。東日本大震災の直後、復興ボランティアとして地元の山元町の復興作業にあたっていたが、もっと故郷に貢献できるものはないかと考え、いちごに着目したという。このいちご作りを町の中心的な産業にし、世界中でNo.1の施設園芸の最先端集積地を作ろうと農業生産法人GRAを設立した。

岩佐さんは得意のITを活用して新しいいちごの作り方に取り組んでいる。生育に必要な湿度を保つためにミストを定期的に噴射し、夜になると保温のために自動でカーテンがしまったり、設定温度より低くなると温風が流れる仕組みを導入し、おいしいいちごが育つ環境を全てコンピュータで制御できるように設計している。

農業生産法人GRAは従業員がパートを含めて60名ほどでその多くが地元山元町の人々である。今では生産量の2割を海外に輸出し年商は約10億となっている。

 

一方で岩佐さんはいちごの産地復活に向けて、担い手を育てようと新規就農プログラムを実施しており、研修1期生は7人を数える。全国から様々な年齢の研修生が集まってきている。

 

いちごに限らず、農業において、ベテランの経験と勘が頼りになる部分が大きい。しかしながら、農業生産法人GRAでは、葉っぱの光沢具合の画像解析やその時の土の成分のデータを収集し、誰でもいちごが作れるように取り組んでいる。

 

 

 

 

 

 

東北の被災地で、農業や水産業の新たな担い手達が生まれつつあることがわかった。震災のため、いちからやり直す必要に迫られた状況が担い手を育てる仕組みや技術を生み出したようです。後継者がいない、これはどの地方でも起こっている課題です。被災地で生まれた新たな方法は今後他の地方でも取り入れていけるのかもしれません。