[カンブリア宮殿] ( 三宝 ) 家族3世代が熱狂する 「超・非効率ファミレス」の全貌! – 2017年3月9日

カンブリア宮殿
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年3月9日放送のカンブリア宮殿は「家族3世代が熱狂する 「超・非効率ファミレス」の全貌!」と題してレストラン三宝の会長 金子 行宏氏、 同社社長 金子 博信氏が登場します。

 

親子三世代に喜ばれる店作り!三宝の秘密

 

地元に愛されるファミリーレストラン三宝

 

まるごとにっぽん
まるごとにっぽん

 

東京ではまだ知られていないが、地元では大人気、そんな食材が集まるのが、東京浅草にある。

それがまるごとにっぽんというお店である。このお店には、全国の“てまひまかけた本物の逸品”、“全国の隠れた名産品”が集まっており、全国、そして海外のお客さんで溢れている。

例えば、笹田蒲鉾店は徳島県民なら誰も知っている郷土料理フィッシュカツを販売している。地元では給食にも出るという。

熊本からは御飯の友というふりかけ。これは日本で初めて商品化された「ふりかけ」である。原料は魚の骨で、大正初期にカルシウム不足を補おうと開発されたもので、今では熊本に行けばどこの家庭にもあるという。

そして三陸岩手のいちご煮。ウニとアワビのお吸い物でウニの形がいちごに似ていることからこの名前となった。もともとは漁師料理だったが、今ではお正月のごちそうとして振る舞われている。

 

 

 

新潟県新潟市中央区の信濃川の河口近くにあるピアBandai万白島鮮魚センター。年間100万人が訪れる施設には旬を迎えたのどぐろや毛ガニ、天然ぶりなどの海産物が立ち並ぶ。

 

そんな新潟で有名な地元のレストランがレストラン三宝である。平日の昼時でも店の外まで行列が並ぶ。鍋焼きうどんやお寿司、サーロインステーキ、和食御膳、エビチリ、パスタなどメニューが豊富で80種類以上のメニューを取り揃えたご当地ファミレスなのである。ロードサイドにはもちろん大手のファミレスチェーンもあるのだが、一体どこに違いがあるのだろうか?

 

新潟 ファミレス 三宝
新潟 ファミレス 三宝

 

 

大手に負けない三宝流その1:出来たてを提供するコック集団

 

厨房のスタッフは、同規模の大手ファミレスチェーンの2倍以上が配置されている。中華担当、洋食担当、和食担当など、料理によって担当がわかれているため、どうしても厨房スタッフが多くなる。そして作り置きをせずに出来たてを提供する。

 

大手に負けない三宝流その2:専門店並みのこだわり

 

パスタの麺は自家製の生パスタを厨房で作り、そこに和えるたらこは釧路産の木箱に入った本格的な高級たらこ。

こだわりは調味料にまで及んでおり、例えば餃子に使うラー油も自家製で作っている。独自の配合で料理にあったラー油を作っている。

 

大手に負けない三宝流その3:儲け度外視の店作り

 

とある店舗では和風庭園を思わせる10坪の庭が設けられており、その庭を客席が囲むような作りとなっている。その庭を客席にしたら30席は増やせるという。そこには”席が近いとお客様同士の目線が気になる”という事もあり、なるべく気持ちの良い食事空間を実現するために敢えて中庭を設けている、という理由がある。

 

 

こうした、大手ファミレスとは一線を画す戦略で、三宝グループはファミレスをはじめ、和食店、ラーメン店など45店舗を展開している。

 

 

三宝では、通常のファミリーレストランが効率を求めるのに反しているのではないか、という問いに対して、

効率そのものを否定するつもりはないが、料理はある程度手間暇をかけないと良いものができない。効率という名のもとで手間を省略しては美味しい料理はできない

と金子社長は言う。

 

また、メニューが80種類以上あることについて

新潟のような地方都市だと親子三世代でお越しになるお客様が多い。そうすると子どもから年配の方々までが”食べたいモノ”があるという事が大事だった。

という。

 

 

総務省発表のデータで新潟県は、1ヶ月間で外食にかける金額が全国で6番目に低い県となっている。つまりそれだけ外食にお金をかけない県なのである。おそらくこれは、新潟県はお米がおいしいため、ちょっとしたおかずがあれば、おいしい食事が実現できてしまう。すなわち、外食に行く際には家庭では味わうことができないプロの味を提供しなければ、お店に食べに来てもらえない、ということを表しているのではないだろうか。

 

 

三宝の原点:親子三世代に楽しんでもらう店

 

三宝会長で、創業者の金子行宏氏は、1956年東京日活ホテルに就職し、11年間フレンチの修行を積んだ。

1967年、29歳で独立し三宝飯店という中華の店を開いた。当時の新潟では、フレンチは敷居が高すぎると考えた。味の良い中華食堂は繁盛した。創業時から、親子三世代で訪れてもらえるお店を作りたいと考えており、1970年にはレストハウス三宝をオープンさせた。

当時のメニューから、中華や洋食が並んで掲載されていた。今の”何でもある”ファミリーレストランの原型を作ったのである。1980年には2号店をオープンさせた。そして、これからは経営を学びたいと考え、東京のコンサルタントの元へ通い詰める。

そこで次の3号店に提案されたのは、小上がりや座敷はない大手チェーンのようなお店である。店名もサンフランシスカンⅢと横文字にして1985年にオープンした。

しかし、実際にオープンしてみると、流行に敏感なニューファミリーばかりで親子三世代のお客さんがいなかった。そして計画ほど売上も伸びていなかった。そこで、金子行宏氏は息子の金子 博信氏を呼び寄せた。

 

息子とともに再度店作りを考え直し、原点回帰を決断。大幅改装を行い、三宝に名前を戻した。すると地域のお客が来てくれるようになった。これが、後に社長になる金子 博信氏に教訓を残した。地元客の信用を得て、何度も足を運んでもらうために何をすれば良いかを考えるようにした。

 

 

 

 

 

絶対に潰れない会社を作るために黒字店を閉店

 

三宝の会長 金子 行宏氏、 同社社長 金子 博信氏、2人ともが目指す三宝の姿が「絶対に潰れない会社」である。

 

そのために、2016年、三宝の2店舗を閉店させた。しかし、その2店舗は黒字だったという。ではなぜ、黒字の店舗を閉店させたのだろうか?

 

慢性的な人材不足に悩まされる外食業界…閉店した店舗では、他の店の人にヘルプに来てもらい、それでもお店が回らない状況だった。そのため、黒字店だった店を閉店させ、他の店に従業員を回すということを行った。従業員に対する労働環境改善のメッセージも込めた大きな決断だった。

また、それだけでなく、営業時間を2時間半短縮させ、従業員が休むことができる環境づくりを行った。

また、従業員だけでなく、パート社員のやる気を引き出す制度の導入もすすめている。そのひとつがチャーハン試験である。チャーハン試験という社内資格を作り、厨房でチャーハンを作るにはこの資格を通過する必要がある仕組みにした。そして、パート社員でもこの資格を取得できるようにし、資格を取得したら時給が30円アップし、調理を実際に担当すれば時給が300円アップするようにした。

こうした仕組みを取り入れることで、潰れない会社作りの地盤固めを行っている。

 

 

 

外食を夢のある仕事に…

 

社員の独立支援を充実させ、社内制度として確立。店舗設計やメニュー開発を三宝が支援する。その開業準備の期間も給与を支給するという大盤振る舞いである。

そして、無担保で1,000万円まで融資を行うという。夢が本人のやる気を引き出す。これもまた潰れない会社作りの一環である。