こんにちは。ひとりで.comです。
2017年3月20日放送の未来世紀ジパングは「池上彰が徹底解説!“カジノの街”ラスベガス」と題してラスベガスのカジノの歴史を紐解くとともに、日本のカジノ構想に必要なことを特集します。
【目次】
なぜいま日本でカジノが盛り上がっているのか?
2016年12月日本でいわゆる”カジノ法”が成立した。いよいよカジノ解禁に向けて動き出したが、実は法律は2段階に分かれている。
政府は今後1年以内を目処に実施法案を提出する予定である。現在カジノは刑法上賭博罪にあたり禁止されている。従って、政府はカジノ解禁に向けて具体的な制度を設けていこうと考えている。
ではなぜいまカジノを合法化しようとする動きが出てきているのだろうか?
それは、カジノを観光客にとっての目玉にしようと考えているからだ。実際カジノを合法化しているのは世界140の国と地域があり、日本はそれに対して遅れを取っている状態である。
カジノの本場ラスベガスの監視体制
アメリカネバダ州のラスベガス。この街には300以上のカジノがある眠らない街で今なお拡大を続けている。2016年の観光客は4,290万人と過去最高を記録した。
カジノの取材は極めて難しいのだが、今回取材をOKしてくれた場所があった。それが、MGMリゾーツ アリアホテルである。
このホテルだけでスロットが2,000台ほどあるという。
今回は、カジノフロアの裏側まで取材を許可された。カジノフロアから奥に進むと、所狭しとモニターが並べられた監視部屋があった。そこからはテーブルゲームの手札まで見える。
実はカジノフロアには1,300台もの監視カメラが設置されており、特に客のイカサマ行為やディーラーの配当違いなどが発生しやすいテーブルゲームを監視しているという。
更に監視ルームでは、客の顔を自動撮影し、過去にイカサマをした人物と照らし合わせセキュリティを強化するといったことも行われている。この強化のおかげで、イカサマ師の中では「MGMには行くな」とまで言われているという。
カジノとマフィアの歴史的関係
ラスベガスにはモブミュージアムというマフィアの博物館がある。その博物館の中で展示されているマフィアの歴史には、カジノが大いに関係している。
ラスベガスを作った男と呼ばれるのが、大物マフィアのベンジャミン・シーゲル(通称:パグジー)である。
1946年に砂漠地帯だったラスベガスに大型のホテル、フラミンゴホテルを開業した。しかしその1年後、パグジーは暗殺されてしまった。当時全米のカジノはマフィアが牛耳っていたのである。
今回、今のラスベガスを作ったと言われる伝説の男、スティーブ・ウィン氏の取材に成功した。この人物はラスベガスの”カジノ王”と呼ばれている。
1940年、50年代のラスベガスではマフィアと繋がっている人々が次々とカジノホテルを建設していたが、ネバダ州が1960年代に法律を変え、株式上場をしている企業を次々と誘致したため、一夜にして変わり、マフィアと呼ばれるような人たちはいなくなった。アメリカで社会問題になっているドラッグを密売するような人たちも規制が厳しいラスベガスにはやってこなくなった。
しかし、今でもマフィアはすきさえあればカジノへの参入を狙っている。それを阻止するのがネバダ州のカジノ委員会である。マフィアとの繋がりや重大な違法行為が見つかると、カジノライセンスを剥奪される事もあるという。
ラスベガスでカジノ事業に参入してるコナミ
そんなラスベガスでカジノ事業に参入した日本企業がある。
それがゲームメーカーのコナミである。コナミのスロット製造工場では、年間約1万台のスロットを生産しているが、スロットの生産に関しても厳しい規制が敷かれている。ここでのスロットはラスベガスはもちろん、世界中のカジノ地域に輸出を行っている。
ネバダ州の法律下では、製造したスロットマシーンをどこに売ったのか、海外も含めて1台1台報告を四半期ごとに義務付けられている。
カジノに関する規制は、従業員にも課せられており、”ゲーミングカード”という、カジノ業界で働くための労働許可証が必要となってくる。このゲーミングカードの取得に際しては、過去の犯罪歴や麻薬の使用歴も調査される。更に指紋のデータも採取されている。
そして、企業の役員には更に細かい調査が入っている。お金の流れを調べるために家族の預金通帳や貸金庫、遺言の内容まで全て開示させられたという。その項目は80項目以上に及び、資産の細かい状況はもちろん、学校の成績まで記されている。この情報を2年に1度提出を求められている。
カジノの合法化と禁酒法の関係
ネバダ州がカジノを合法化したのは、1931年。当時は砂漠地帯で、産業がなかったため、カジノの合法化に踏み切った。しかし、その合法化には、それまでの歴史的失敗を教訓として踏み切られたものであった。
そこで出てくるのが、1920年に制定された禁酒法である。飲酒によるトラブルや第一次世界大戦でアルコールの原料となる穀物が貴重になったことから制定された法律である。それによって、お酒の密造や密輸という自体が発生し、それがマフィアの資金源となってしまった。
こうして、禁止する事によってマフィアの資金源になってしまうことから、合法化すればマフィアの資金源になることがないと考え、カジノの合法化に踏み切ったのである。
しかし、結局マフィアはこの禁酒法時代に稼いだ巨額のマネーで合法化されたカジノに参入してきてしまったのである。
ラスベガスのカジノ以外の産業
いま、ラスベガスでは、カジノ以外の産業に注目が集まっている。ラスベガスにあるルクソールホテル、パリスホテル、ベネチアンホテル、ミラージュホテル、そのどれもが、カジノ以外で楽しめるようなイベントを用意し、家族で楽しむことができる街へと変貌を遂げている。
その中でもベラッジオホテルでは、100億円近い資金を投じて専用の劇場を作り、そこでシルク・ドゥ・ソレイユ「O」を上演している。水をふんだんに活用した演劇で今でも観光客を賑わしている。実はこのシルク・ドゥ・ソレイユをはじめたのも、先のカジノ王”スティーブ・ウィン氏”であった。スティーブ・ウィン氏は…
ラスベガスを世界の観光客で埋め尽くすためには、カジノ以外の楽しみをどれだけ提供できるかが重要である。いまではラスベガスでは、カジノ以外の事業がカジノを上回る規模になっている
という。
更に、MICE(Meeting Incentive Convention Exhibition)と呼ばれる巨大なホールにおける展示会をラスベガスで実施する、というビジネスも大きくなっている。
ビジネス客が平日にこうした展示会にやってきて、企業に戻る前に休日を組み合わせてラスベガスの街を楽しむ。そうすることで、新たな需要を生み出すとともに、そこで来たお客さんが次は家族と訪れる、という循環を生み出しているのである。
こうした、産業の連鎖によって、ラスベガスにおける観光事業は年間5兆円以上にものぼり、25万人もの雇用を生み出しているのである。
このように、統合型のリゾートをIRリゾート(Integrated Resort)と呼ばれている。このIRリゾートで成功している都市がラスベガス以外にも存在する。それが、シンガポールのマリーナベイサンズである。
シンガポールの観光客は、カジノができる2010年の前年2009年には、968万人だったのに対して、2016年には1,640万人まで増加している。
実はこのシンガポールのカジノ構想は、1999年の石原慎太郎都知事が提唱した”お台場カジノ構想”をヒントとしたと言われている。
動き始めた”日本のカジノ”
年間300万人以上の入場者数を誇る長崎県佐世保市にある”ハウステンボス”。最近は1,300万個のLED電球を使ったイルミネーションが評判を呼んでいる。また、敷地内にはいくつものホテルがあり、最新のホテルの受付がロボットとなっている。
そんなハウステンボスには、既にカジノが存在していた。お金をかけずに遊ぶことができるアミューズメントカジノである。しかし、ルールは本場と同様で、ディーラーも海外カジノ経験者を採用するなど本格的である。
実際に、カジノ構想が実現する際には名乗りをあげる準備も進めているという。
ハウステンボスの澤田社長は…
ハウステンボスの目の前にある大村湾を活用して”海中カジノ”を作り、集客の目玉にしたい。カジノ自体は日本でなくても世界各地にあるため、ここでやる価値・意味を作り出したい
と考えている。
日本のカジノ構想を睨み、様々な企業が動き出していた。
例えば、カジノのディーラーの養成学校を運営する「日本カジノ学院」は、今年全国10の地域にディーラーの養成学校を開業予定である。
一方、外国勢も日本進出を目論んでいる。例えば、マカオのカジノ王、メルコ・クラウン・エンターテイメントのローレンス・ホー会長は大阪のカジノ構想に対する投資は1兆を超えても問題ないと豪語するほどである。
また、先ほどのスティーブ・ウィン氏も…
東京を始めとする魅力的な都市がいくつもある日本は世界的な観光地になる可能性を秘めている。いくらかかってでも想像を超えるものを造る。金額は気にしない。
と述べている。
実際、現時点(2017年3月時点)でカジノ誘致を表明しているのが、北海道の釧路市、ルスツ村、苫小牧市、大阪府、和歌山県、長崎県佐世保市で、誘致を研究中としているのが、東京都、横浜市、宮崎県である。