[未来世紀ジパング]( カンボジアコットンクラブ / リッチ・エブリデイ ) 応援したいニッポン人SP – 2017年3月27日 –

未来世紀ジパング
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年3月27日放送の未来世紀ジパングは「応援したいニッポン人SP」と題してカンボジアでオーガニックコットンを作るカンボジアコットンクラブ、ウガンダでバッグ工房を営むリッチ・エブリデイの活動を特集します。

 

カンボジア・ウガンダで現地に貢献する2人の日本人

 

 

カンボジアコットンクラブ:古澤敦さん

 

カンボジアコットンクラブ
カンボジアコットンクラブ

 

カンボジアのバッタンバン州。のどかな農村が広がる地域だが、今だ内戦時代に埋められた地雷がいまも残っており、地道な除去作業が続いている。

そんな地雷の傷跡が残る村に向かうのは、古澤敦さん(47歳)。ここで4年前から栽培しているのが、綿花である。かつてバッタンバンは綿花の産地だったが、内戦により消滅。地雷原だったこの地の綿花産業を復活させようとしている。

ここでの綿花栽培は農薬などを使わない有機栽培である。一般的な綿花よりも高い値段で売れるため、敢えて栽培の難しいオーガニックコットンを栽培している。

 

カンボジア オーガニックコットン
カンボジア オーガニックコットン

 

 

綿花栽培は一般的に農薬や殺虫剤を用いて栽培される。その方が栽培も楽になり、不純物が混ざらないため収穫も楽になる。ただし、そこで用いた農薬や殺虫剤が土壌汚染の原因ともなってしまう。綿花栽培における殺虫剤の使用量は世界中の殺虫剤の使用量の16%農薬についても10%にもなるという。

 

 

 

古澤さんはカンボジアに来て10年だが、ここまでは苦難の連続だった。もともと古澤さんはNHKの取材ディレクターだった(1994年〜2006年)。現地取材を行い、多くのドキュメンタリーを制作してきたが、伝えるだけでは物足りなくなったという。

 

 

それから2007年にNHKを退職し、単身カンボジアへ。貯金を切り崩して自費で活動を行ってきた。しかし、インフラが整っていなかったり、住民とうまく信頼関係を築けなかったりと困難と失敗の繰り返しだった。やっとの思いで4年前、カンボジアコットンクラブという会社を立ちあげたが、いまだ軌道にのっているわけではない。

 

 

カンボジアコットンクラブでは農家から買い取った綿花を引き伸ばし綿にする。そこから糸を作るのだが、古澤さんがその工程で拘っているのが、ガラ紡という機械である。日本では明治時代に使われていたものである。

 

ガラ紡
ガラ紡

 

なぜこんなものを使っているのだろうか…。カンボジアという地域では、最新の機器はもし故障した場合に修理ができない。しかしガラ紡は木とブリキと歯車でできているため、カンボジアでも長期に渡って使うことができるのである。

 

しかし、ガラ紡は昭和初期には使われなくなってしまった機械のため、製造している会社はもうない。古澤さんは愛知県の紡績関係者らに協力を仰ぎガラ紡を復元させた。

 

 

試行錯誤を繰り返し、ようやく最近安定して糸を撚る事ができるようになってきた。ガラ紡で糸を紡ぐ際は、水を霧状に噴射して湿度を60%に保つ必要がある。湿度が低いと糸が切れやすくなるからである。

それでも、頻繁にガラ紡はこわれてしまうため、日々修理を行いながら糸を撚っている。

 

 

 

最大の危機を救ったのは池上彰氏?

 

機械の故障や強盗、道路拡幅に伴う立ち退き…苦難が続く古澤さんは2016年3月ついに撤退を決断し、関係者に対して撤退宣言をしていた。

そんな矢先…手を差し伸べたのが、池上彰氏だった。

 

古澤さんと池上彰氏は、20年来の付き合いで、池上さんの教え子のような存在だった。撤退の話を聞いた池上さんは、彼を応援しようと、2017年1月に開かれた古澤さんを応援するシンポジウムに出席し、資金の呼びかけを行った。

 

その結果、参加者1,000人から約320万の寄付金を集めることに成功した。

 

 

その寄付金を元にビジネスとして成り立つような新商品の開発に取り組んでいた。化学染料を一切使わずに植物・果物から染料を作る100%オーガニックの草木染めである。紫キャベツやアボガドのタネを煮立てて出た煮汁を染料として糸を染め、それを元にストールを作ろうというのである。

 

 

 

 

 

リッチ・エブリデイ:仲本千津さん

 

リッチ・エブリデイ
リッチ・エブリデイ

 

赤道直下に位置するアフリカ大陸のウガンダ共和国。人口はおよそ4,000万人で公用語は英語である。20年にも及ぶ内戦が集結したのは2006年。農業以外に産業がなく、多くの人が今でも貧しさから抜け出せないでいる。そんなウガンダで2年前、ビジネスを立ち上げた日本人女性が仲本千津さん(32歳)である。

 

 

現在は節約のため、シェアハウスで暮らしている。仲本さんが代表を務める工房がリッチ・エブリデイ。働いているのは5人のウガンダ人女性。ここで製作しているのが、アフリカの生地を使った個性的なバッグ。バッグのデザインは仲本さん自身が考えている。

 

 

仲本さんは、大学院卒業後、東京三菱UFJ銀行に2年間勤務。その後、海外支援のNGO団体に転職し、ウガンダで2年間農業支援プロジェクトに従事した。そこで痛感したのはウガンダ人女性が置かれている弱い立場だった。

 

ウガンダでは今でも男性が優先的に教育を受ける文化があり、そうなると女性がまともな職に就くことは限られてしまう。更にこどもがいるとなるとより厳しい環境に置かれてしまう。その状況を打破したいと考え、ウガンダで活動することを決意した。

 

リッチ・エブリデイで働く女性はみなシングルマザー。ウガンダでは母子家庭が約3割にものぼるが、その働き口は少ない。シングルマザーが安心して働ける環境作りを目指してバッグ工房を開設した。現在、主に日本向けに月間150個ほどのバッグを製造販売している。

 

 

しかし、会社の台所事情は厳しいのが実状である。工房のスタッフには、ウガンダ人の平均月収の約3倍を支払っている。

 

 

そんな仲本さんの強力な援軍は、ふるさと静岡県の母親。実は、日本での仕事を母親が一手に引き受けてくれている。

母親は4人のこどもを育てた専業主婦だったため、社会人経験はゼロだったが、娘のお願いとあって、日本での活動を引き受けたくれた。

 

母親の日本での仕事は、販路の開拓である。日本の大手百貨店で販売ブースを設けることに成功したが、販売員は母親ひとりのみ。緊張しながらも、この商品が売れないとウガンダの人たちが生活していけないという使命感を持ち、必死にバッグを販売しているのであった。

 

 

実は仲本さんは、アフリカで起業する人のための支援制度を利用している。それが、アフリカ起業支援コンソーシアムである。ここでは、年間250万円・最大3年間の援助を受けることができる。

 

 

現状は、従業員が少ないため、バッグの製造量が限られてしまう。なんとか従業員を増やし、ウガンダ以外の国でも同じような活動を行うことによって売上を上げていくことが当面の仲本さんの目標となっている。

 

 

 

 

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ミャンマーでおもてなしのサービスを

 

カンボジアの古澤敦さん、ウガンダの仲本千津さん以外にもこのように途上国でより豊かな暮らしを提供しようとする日本人はたくさんいる。近年開国したミャンマーにてお手伝いさんの養成と派遣事業を営む「HerBEST」を運営する村上由里子さんもそのひとりである。

 

村上由里子さんは星野リゾートで学んだおもてなしの技術をミャンマーの現地の人たちに教え込み、お手伝いさんを育てるという取り組みを行っている。