[カンブリア宮殿] ( 山中伸弥 ) なぜ、”手術下手”な医者が、ノーベル賞をとれたのか? 劇的な「iPS細胞」発見から10年― “夢の医療”最前線 – 2017年4月13日

カンブリア宮殿
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年4月13日放送のカンブリア宮殿は「なぜ、”手術下手”な医者が、ノーベル賞をとれたのか?劇的な「iPS細胞」発見から10年― “夢の医療”最前線」と題して京都大学 iPS細胞研究所所長 山中伸弥氏が登場します。

 

医者から研究者へ! 山中伸弥氏のiPS細胞発見までの軌跡

 

難病を治すことができるようになるかもしれないiPS細胞への期待

 

iPS細胞
iPS細胞

 

C型肝炎にいま劇的な変化が起きている。それがアメリカの製薬会社が2年前に発売したソバルディという薬でいま世界で売れている。薬の服用でみるみる回復に向かい、ガンの恐怖からも逃れているという。

 

2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学山中伸弥教授。人体のどんなものも作れるというiPS細胞の発見でノーベル賞を受賞。国も国家プロジェクトとして1,100億の支援を決めた。そして2014年にiPS細胞で人間の眼の網膜を作ることに成功した。

 

これで助かる可能性があるのは、日本で70万人いると言われる加齢黄斑変性という病気の患者たちである。加齢黄斑変性とは網膜内で炎症が起こり、視界が歪んだり、一部が見えなくなる眼の難病である。患者たちは極めて不自由な生活を強いられる。

 

これまで完治が不可能と言われていたが、炎症部分にiPS細胞で作った網膜シートを移植することで網膜が再生できることがわかったのである。

 

 

一方、大阪大学では、驚くべきモノを作り出している。実はiPS細胞からシート状の心臓の筋肉を作ったのである。まだ実験段階であるが、このシートを心不全患者に移植することで正常な心筋を再生できる可能性があるのである。

 

 

 

 

 

iPS細胞とは??

 

 

人の体は精子が卵子に受精した段階から細胞の分裂が始まり増殖することで形成されていく。増殖した細胞のあるものは筋肉の細胞に変化し、あるものは神経の細胞に変化する。またあるものは臓器の細胞へと変化する。これらの細胞はひとたび人体を形成すると増殖を辞め、他の細胞に変化することはないとされていた。

しかし、研究が進み一部の研究者達がこの常識を疑い始めていた。既に成長しきった細胞でもなんからの条件下においては受精卵に近い状態に戻せるのではないかと考えていた。これが、細胞の初期化である。初期化ができればどんな細胞でも自由に作れるはずである。

大騒動になったSTAP細胞もある刺激を与えることで細胞を簡単に初期化できるというものだった。

 

山中氏はこの細胞を初期化する方法を世界で初めて発見したのである。

 

山中氏は以前発表の際に

4つの遺伝子を発見した。そしてこの4つの遺伝子を皮膚の細胞に導入すると細胞が初期化されて受精卵に近い状態に戻る

と説明し、これをiPS細胞と呼んだのである。

 

皮膚などから採取した細胞に4つの遺伝子を加えることによって、受精卵に近い状態に戻る。初期化された細胞は分化する能力を取り戻し人間の様々な部分の細胞に作り直すことが可能なのである。

 

 

 

 

 

 

製薬会社の新薬開発にiPS細胞?

武田薬品工業
武田薬品工業

そんなiPS細胞に巨大ビジネスも動き始めていた。

神奈川県藤沢市にある武田薬品工業の湘南研究所では1,000人の開発者が集結する新薬開発のための研究所である。そこに山中氏の姿があった。実は山中氏は2015年4月に武田薬品工業と共同研究することを発表していた。

いま、大手製薬会社はiPS細胞をめぐって巨額の投資を実施し熾烈なiPS新薬の開発合戦を行っている。

武田薬品工業は、山中氏を招聘することでその覇権を握ろうと考えているのである。

 

それにしても薬の開発になぜiPS細胞が必要なのだろうか。

 

例えば、筋ジストロフィーの患者から採取した細胞を活用してiPS細胞を培養する。筋ジストロフィーは筋肉細胞が徐々に壊れていく遺伝性の疾患で、患者から採取した筋ジストロフィーの細胞をiPS細胞で初期化することによって、疾患の症状を再現することができるようになる。これによって、驚異的なスピードで薬の効果を確認できるようになったのである。

 

大手メーカーと組んでまでスピードにこだわる山中氏。2016年に亡くなった日本ラグビーのトッププレイヤー 平尾誠二さんと親交があった山中氏は、平尾さんを救えなかったことに悔しさを抱いていた。

 

まだ1人の患者も救えていない…

 

と。

 

山中氏の活動拠点は、京都大学医学部附属病院にあった。そこには、敷地の真ん中に総工費100億円と言われるiPS細胞研究所(CiRA)がある。その所長を務める山中氏のスケジュールは分刻みである。所長として各プロジェクトの進捗状況を確認したり、資金集めなども行う。

 

 

 

 

 

 

iPS細胞に関しての疑問

 

番組の中で、小池栄子さん、村上龍さんから以下のような質問がされていた。

 

Q. iPS細胞において日本勢はどれくらい先行しているのか?

 

A. iPSを使った再生医療に関しては日本は世界のトップを走っている。世界初の網膜治療も日本で行われたし、臨床応用の一歩手前まできているものがたくさんある。

 

 

Q. iPS細胞で何でも作れるわけではない?

 

A. その通りです。iPS細胞がいま作れるのはいろいろな細胞で、心臓の細胞や脳の細胞は作れるが、心臓そのものや脳そのものは今のところ作れない。ただ、将来は臓器も作るという研究もいまたくさんの研究者が一生懸命やっている

 

Q. iPS細胞ができるまではどのくらいかかる?

 

A. iPS細胞ができるまでは約1ヶ月。それを増やし品質チェックを行い、網膜の細胞や心臓の細胞に作り変えるため、全て合わせると1年ほどかかってしまう。1年経つと心臓病や肝臓の重い病気の患者だったら亡くなってしまうこともあるため、いかに期間を短縮するのかが大きな課題。

 

 

 

 

 

 

 

山中伸弥さんのプロフィール

 

山中伸弥
山中伸弥

 

山中伸弥
1962年 大阪府生まれ
1987年 神戸大卒業後、国立大阪病院で臨床医に
1993年 渡米しグラッドストーン研究所へ
2006年 帰国後、京大でiPS細胞を発見
2010年 京都大学iPS細胞研究所 設立
2012年 ノーベル生理学・医学賞受賞

 

1962年、東大阪の町工場の家に生まれた。父親からお前は経営者に向かないから医者になれ、と言われて1981年神戸大学医学部に入学。スポーツに打ち込んだ結果、10回以上も骨折を経験。そこでお世話になった国立大阪病院で整形外科医として研修に入った。

 

ところが、意気揚々と取り組んだ最初の手術で苦難に陥る。

普通ならば30分ほどで終わるはずの手術だったが、2時間かけても終わらなかった。そしてついたあだ名が「ジャマナカ」だった。

 

自分は医者に向かないのでは…そんな折、父が58歳で肝硬変のため死去した。山中氏は整形外科医を辞め1989年、難病を治すための研究をするために大阪市立大学大学院 薬理学教室に入学した。ここから長い基礎研究がはじまったのである。

 

アメリカ・サンフランシスコの市内に山中氏のもうひとつの研究拠点がある。それが、グラッドストーン研究所である。現在もここでいち研究者としてiPS細胞に関する基礎研究を行っている。実はこのグラッドストーン研究所は、山中氏が31歳のときに研究員として勤務していた場所である。

 

実はこの場所で人生を変える出会いがあったのだ。当時グラッドストーン研究所の研究所長だったロバート・メーリー氏は自身の愛車Volks Wagenの頭文字を取って、学者として成功するためにはVとWが重要だと教えた。

 

VはVison(ビジョン)のVで、WはWork Hard(ワークハード)のWである。つまりがむしゃらに働くだけじゃなくビジョンがなければいけないということです。

 

山中氏はこの話を聞き、初心にもどることができたのだという。

 

3年の研究を終え、1996年に帰国した。しかし、そこに待っていたのは厳しい現実が待っていた。アメリカの研究環境が日本と比較して非常に優れているということだった。当時、アメリカであれば、専門の職員が世話をしてくれていた実験用のマウスも日本では餌やりから掃除まで全て山中氏の仕事だったのである。

 

そんな厳しい雑務に追われる中、既にテーマと決めていた細胞の初期化の研究も一向に進まずにうつ状態に陥ってしまった。そんな山中氏を勇気づけたのが、

クローン羊「ドリー」の誕生

である。

 

成長した6歳の羊の乳腺細胞からクローン羊が誕生したという事実が、iPS細胞も夢ではないと確信させたのである。

 

気の遠くなるような実験の繰り返しの果てに、ついに山中氏はiPS細胞を見つけ出すことに成功した。父を亡くし、基礎研究に足を踏み入れてから17年目のことだった。

 

 

 

 

 

 

豚の体内で人間の臓器を作る?

 

東京大学医学研究所の中内教授はiPS細胞を使って変わったものを作り出したという。それが、マウスとラットを組み合わせたキメラである。また、ラットの膵臓をマウスの中に作り出すことも成功したという。つまり、ある生き物の体内に別の生き物の臓器を作り出したのである。

 

iPS細胞を注入することによって可能になったこの技術で人間の臓器が作れるのである。例えば、豚の体内で人間の臓器を作り出す、といったようにである。

 

ところが、中内氏は研究の拠点をアメリカにうつしてしまった。これに対して…

日本は何をやってお役所が出てきて規制をしてしまう。アイディアがあっても実用化で遅くなってしまうのは研究の世界でも同じ。

と語る。

 

 

 

 

 

 

寄付文化がない日本の研究環境

 

山中氏は、欧米に比べて寄付文化がない日本に危機感を抱いているという。例えばアメリカでは、寄付のためのチャリティマラソンを実施するだけで一度で億単位の寄付が集まったりするというのである。

 

寄付文化は研究環境にも影響する。研究を支援する人がたくさん必要だが、日本では有期雇用で数年しか一緒に働くことができない。アメリカでは10年、20年単位で働く事ができる。寄付を中心とした資金で長期雇用されているため、日本と比較してスピードをもって研究をすすめることができるのである。

 

 

 

 

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iPS細胞の次なる秘策

 

2017年3月、神戸でまた新たな研究成果が発表された。行われたのは、眼の細胞の移植手術である。そこで注目だったのが、

 

他家移植用のiPS細胞

 

である。

 

すなわち、他人のiPS細胞を使って手術を行ったのである。移植手術の際、患者本人のiPS細胞であれば、拒絶反応が起きづらいが作製時間が長く、高コストになってしまう。

しかし他人のiPS細胞を用いることができれば、多くの人が利用可能になり、作製時間も短く低コストで済ませることができるようになる。

 

そんな便利なiPS細胞を作り出したのが、山中氏である。最高レベルのクリーンルームでiPS細胞を量産し、すばやく提供できるように貯蔵を行っている。

 

いかに安くたくさんの人に届けるかが必須なので、iPS細胞のストックを何千人、何万人分作り出し貯蔵し使っていく計画をしている。

 

山中氏は

僕達が目指しているのは、「健康寿命」と「平均寿命」の差を埋めること。現状ここは10歳ぐらいの差があり(女性は12歳、男性は9歳)、その10年というのは寝たきりだったり介護が必要な状態で自分の好きなところに行くことができない。

それをiPS細胞による新しい再生医療と創薬によって縮めていきたい。

 

ただ、医学の基礎研究は一般的な治療になるまで、20年〜30年かかるので、この技術を本当の意味で「医学」に持っていけるようにしたい。

 

という。