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2017年4月20日放送のカンブリア宮殿は「伝統ある和菓子界の革新者!自然豊かな里山から生み出される絶品和菓子の秘密」と題して、叶 匠壽庵 3代目社長 芝田 冬樹(しばた ふゆき)氏が登場します。
伝統ある和菓子 叶 匠壽庵の秘密
滋賀県大津市の山あいに「寿長生の郷」という人気施設がある。6万3,000坪の施設内には、見渡す限りの満開の城州白梅という品種の梅が1,000本ほど植えてあり、家族連れやカップルが殺到している。
この敷地内では、イベント事として相撲や和太鼓の演奏、山寿亭というお食事処もあり、中でお茶も頂くことができる和のテーマパークとなっている。
そんな寿長生の郷に、ひと際人だかりがある和菓子屋がある。それが”叶 匠壽庵“という和菓子店である。そこで一番人気なのが、
というお菓子である。
一見羊羹のように見えるが、餅などで作る「求肥」をつぶあんで包んだ棹菓子である。実はこの寿長生の郷も叶 匠壽庵の作った施設なのである。
叶 匠壽庵と言えば、大手のデパ地下には必ず入っているほど有名な和菓子店。全国におよそ80店舗を展開している。
叶 匠壽庵の本社は寿長生の郷の一角にある。趣のある長屋門を通るとまるで和風旅館のような造りになっており、とても企業とは思えない。
叶 匠壽庵の社長 芝田冬樹氏は3代目。職人だった芝田氏は2代目社長の娘婿で2012年に3代目社長に就任した。叶 匠壽庵の創業者は芝田清次氏の教えを守り、里山の自然に根ざした菓子作りを心がけている。
春には、菓子で花見弁当を表現し、秋には裏ごしした栗を皮で包んでみたりとこの寿長生の郷の自然とそこに息づく自然文化が初代と2代目から受け継いだ最大の財産だと3代目 芝田冬樹氏は考えている。
叶匠壽庵の創業歴史
叶 匠壽庵は1958年創業で和菓子の本流である京都から少し離れた滋賀県大津の小さな店からはじまった。創業者の芝田清次氏は、京都に負けない和菓子を作ろうとこれまでにない製品を考えた。当時羊羹やまんじゅうが一般的だった和菓子に革命を起こした。
そのヒントは、京都の舞妓達が”あんも”と読んでいたあんころ餅。そこから生まれたのがあもである。寒天で固めていないやわらかいあんこで求肥を包んだ、これまでにない和菓子を開発し、叶 匠壽庵の代名詞となった。
創業者がもうひとつ開発したのが”標野”と呼ばれる和菓子でアルコールを飛ばした梅酒を寒天で固めたもので、すっぱい和菓子は当時画期的だった。
次第に叶 匠壽庵の名前が知られるようになると、1973年には阪急うめだ本店に初出店しブームに日がついた。当時1日600万円売りあげる日もあったという。そんな叶 匠壽庵に当時ついた異名が「和菓子のソニー」である。
初代の芝田清次を継いだ2代目 芝田清邦氏もまた異色の経営者だった。農業と和菓子は一体だと考えた2代目は1985年、寿長生の郷に本社を移転させ、そこに炭焼き窯まで作った。できた炭は茶室や休憩所で使われている。
職人出身の3代目 芝田冬樹氏は社長就任以来、新商品開発を加速させている。あも蓬、夏の玉露地、葉守など新たなヒット商品を次々と生み出してきた。
一方和菓子の命とも言えるあんは今も手作りに拘っている。1番人気の”あも”に使う小豆は、つぶが大きく希少な春日大納言という品種だけである。
和菓子市場はここ数年横ばいであるが、今の3代目になってから右肩上がりの成長を続けている。
京都を訪れた3代目。この日は、裏千家15代家元 千玄室氏(94歳)への挨拶。実は創業者の頃から付き合いがあり、今でも叶 匠壽庵の菓子を納めている。
創業者 芝田清次氏の和菓子への拘り
創業者の芝田清次氏は1919年 滋賀県大津市生まれ。18歳のときに徴兵され日中戦争に従軍。その際に銃撃を受け左目を失った。帰国した清次氏の目に飛び込んできたのは、故郷の風景。生きている喜びを感じたという。そして大津市役所勤務を経て、39歳のとき故郷の自然を和菓子で表現したいと「叶 匠壽庵」を創業した。
清次氏が最初に作った和菓子が「道標」という最中。毎日祈りながらあんを炊いたという。創業から半年経ったある日、転機が訪れる。店の前に黒塗りの車が着くと、ステテコ姿の男性が降りてきて、こう言い放った。
この前知人からお宅の最中をもらった。あの味が忘れられない。あんたのお菓子にわしは「祈り」を感じたんや。ここにあるもん全部くれ
自分が菓子に込めた祈りをわかってくれる人がいる。そう感じたという。後にこの男性が当時の伊藤忠商事の社長 越後正一氏だった事がわかる。
越後氏の縁などから、パナソニック創業者の松下幸之助氏など、多くの財界著名人がお得意さんとなり、ビジネスが軌道に乗っていったという。
工芸菓子で職人を育てる
和菓子職人を目指そうと考える若者が減っている。そんな中で3代目 芝田冬樹氏はある取り組みを始めた。それが工芸菓子である。工芸菓子とは和菓子で作った花や鳥などの造形のことを表す。
叶 匠壽庵における工芸菓子の第一人者が、この道50年の山川正氏(67歳)である。山川氏は、1978年にパリで行われた世界砂糖菓子博覧会で「天使の証賞」を日本人で初めて受賞した。この工芸菓子によって若者にアピールしようというのである。
工芸菓子には、和菓子作りの”麺棒で伸ばす”、”生地をぼかす”、”色を合わせる”といった全ての技法が盛り込まれているため、工芸菓子が作れるようになることはすなわち立派な職人になることなのである。