こんにちは。ひとりで.comです。
2017年5月25日放送のカンブリア宮殿は「誰にも負けない小豆で、他にない商品を作れ!」と題して井村屋グループ 会長の浅田 剛夫(あさだ たけお)氏が登場。
小豆を中心に、世にない商品を作る井村屋の挑戦
あずきバーの秘密
三重県津市の郊外にある井村屋の本社。朝9時から本社駐車場の一角に大行列ができていた。行列が待ち望んでいたのが「もったいない屋」。ここは週に1度開かれる井村屋の特売所。
カステラが1本200円など、特売品が販売されている。ここでは井村屋の規格外商品が販売されている。例えばあんこが端に寄ってしまってるような販売には適さない商品を地元の方々に安く還元しているのである。
1本60円で売られている井村屋のあずきバー。その工場では、60円で販売するためにさまざまな工夫が凝らされている。
小豆の選別は1日1億粒。
まずはじめに、小豆は大きさで選別される。振るいは上下2層になっており、上は7ミリの穴、下は5ミリになっている。すなわち、5ミリ以上、7ミリ以下の小豆だけを使用するよう、振るいにかけているのである。
しかし、それだけではない。次に選別されるのは大きさ。下から風を吹き付け比重の軽いものを吹き飛ばす。こうすることによって重さの軽い小豆や皮、割れてしまったものなどを除去するのである。
小豆の選別は全部で5段階にも及ぶ。最後に登場するのが最新鋭のマシン。空中に飛ばされた小豆を上下に取り付けられたカメラで撮影し色の僅かな違いを識別し、不適合品を見極めるという仕組みである。
最終的には、1億粒のなかから約200万粒が不適合として除去されるのである。
大きさや重さを均一にすることによって、小豆を炊いた時の炊きムラがなくなりおいしい小豆を作ることができるのである。
ただし、はじかれた200万粒の小豆も地元の老人ホームに寄付し、お手玉となるなど、再利用につとめている。
小豆を炊く工程にさらなる秘密があった。しかし、炊き方が難しいその工程は企業秘密。さらに炊き上げた小豆からアイスにするための原料にもこだわりがあり、アイスを作るための原料は小豆・砂糖・塩・でんぷん・水飴のたった5種類のみである。このシンプルさがあずきバーが硬い秘密である。
通常のアイスクリームは安定剤や乳化剤を利用して固めているが、あずきバーにはそういった添加物を一切使っていない。
あずきバーの型に、アイスの原料を入れる際、あずきが偏らないように、型に入れた瞬間に凍るようにして、味の均一化を図っている。
こうすることによって、どこからかじっても小豆が入っているようにできているのである。
1本60円のあずきバーにはこのようにしてさまざまな工夫が凝らされている。これが、年間2億5,000万本を売り上げるあずきバーの秘密である。
井村屋グループのさまざまな商品
井村屋は、小豆を中心としてさまざまな商品を開発・販売している。例えば、お赤飯の素。通常、赤飯を作る時は、もち米を使うが、このお赤飯の素は、白米に入れて炊くだけでまるでもち米で作ったような赤飯ができる。
さらに、つぶあんトッピングというチューブ型の商品。あんこが中に入っているのだが、名古屋の人はトーストにバターを塗ってその上にあんこをのせて食べるという食べ方をする。あんこの缶ではなく、チューブ型の商品で簡単に食べることができるようにという発想から開発を行った。
井村屋のビジネスを支えるのははさまざまな小豆を使った商品。スーパーの売場を除くと定番のゆであずきの缶詰やお菓子売り場のようかん・水ようかん、ロングセラーの肉まんももともとはあんまんから派生した商品である。
井村屋は小豆商品を中心に増収増益を続けている。
井村屋の新商品「煮小豆」
かなり斬新な商品だと言うが…見た目は小豆を煮ただけのシンプルな商品に見える。
実はこの煮小豆、いままでにない切り口の小豆商品である。それが、健康を意識した小豆商品である。小豆は食物繊維が多く、脂質が少ないためヘルシーだという。
さらに日々小豆商品を製造する中で捨てていた煮汁には、アントシアニンやポリフェノールが多く含まれていることに気づき、これを商品にいかせないかと考えたのである。こうして開発されたのが、煮小豆である。
挑戦的な商品開発を続ける井村屋
井村屋はこれまでにも挑戦的な商品によって、ヒットを生み出している。そのひとつが、やわもちアイスである。
アイスであるにも関わらず、もち本来の柔らかさを実現したやわもちアイスは2012年の発売から5年で販売累計1億個を達成したヒット商品である。
開発部が挑んだのは、アイスでいかに餅をやわらかく保つかということ。何度も試行錯誤を重ね、独自の製法で餅のやわらかさを保つ事に成功したのである。
更に、スポーツの世界ににも井村屋が進出。それがスポーツようかんである。体に素早く吸収される糖質であるマルトデキストリンを配合した新たな商品でスポーツ市場への進出を図っている。
井村屋の歴史
1896年に三重県松阪市で創業された井村屋。創業者である井村和蔵が興したようかん店が発祥である。井村和蔵は、食事の時に使うお膳にようかんを流し込んで容器に使うという発想で作った流しようかんである。
第二次大戦後、その井村屋を託されたのが息子の井村二郎である。戦地から戻った井村二郎は戦友とともに井村屋を株式会社化を決意する。そしてガムやビスケットなど、欧米の菓子作りにも取り組んだ。
井村二郎は、1960年に「即席ぜんざい」を発売するなど、数々のヒット商品を生み出した。1960年代以降、井村二郎はさらなる挑戦に打って出た。それが急速に拡大していたアイスクリーム市場への挑戦である。既に大手メーカーがさまざまな商品を出している中、研究に研究を重ねさまざまな商品を投入したが、結果は惨敗。
とある日に、井村二郎が思いついたのが、「ぜんざいをそのまま凍らせる」という発想である。こうして1973年に生まれたのが「あずきバー」である。
同年、さらに驚きの挑戦をはじめることとなった。それが、アンナミラーズの運営である。当時、アメリカを視察した井村二郎が日本での店舗展開のライセンス契約を取り付けてきた。店員の可愛らしいユニフォームと海外の家庭的なスイーツは当時斬新だった。
井村屋は、アンナミラーズだけでなく、広尾にあるラ・メゾン・ジュヴォーというスイーツの店も運営している。南仏プロヴァンスの小さなスイーツ店「ジュヴォー」と契約し、アットホームの雰囲気そのままに日本に持ってきたのである。