こんにちは。ひとりで.comです。
2017年6月22日放送のカンブリア宮殿は「根室のスナック店主が大逆転!東京でブレイク!いくぜ日本一美味い回転寿司」と題してはなまる社長 清水 鉄志(しみず てつし)氏が登場。
少しの改善の積み重ねが大きな変化を生み出す!回転寿司根室花まるの秘密とは?
特別な魚を提供する根室はなまるの回転寿司
東京駅の目の前にそびえるKITTE(キッテ)。館内には人気の店が勢揃い。その中でも大行列ができている飲食店があった。そのお店が回転寿司の根室花まる。平均一皿300円程度と回転寿司としては少し高価だが、どれも新鮮でおいしそうなものばかりである。
はなまるは根室近海の寿司を中心にした今までに見たことがないネタを提供し、来るお客さんに未体験を提供している。
根室に特殊な魚が集まるのには理由がある。
根室は日本海側から流れてくる宗谷暖流と太平洋から流れてくる親潮の合流地点という特殊な場所なのである。
はなまるでは、時には採算度外視でうまい魚を提供することもある。
根室花まるは北海道札幌市を本社に置き、全国に14店舗を構え、年商は35億円ほどである。どの店も東京同様、驚くほどの行列を作っている。
根室花まるの社長 清水鉄志さんは、根室の漁師の息子だった。小さい頃から食べてきたネタを自分の店でも提供したいという思いから、普段寿司店等には出回らないネタを多く提供しているのである。
そして、ネタと同様に拘っているのが、回転レーンである。今ではタッチパネルになってしまっているが、回転することによって目移りする。それが客の楽しみとなる。要するにウィンドウショピングのようなものである。
近年、大手の回転寿司店では、回転レーンを取りやめ、注文したものだけを届けるためにレーンを使ったり、タッチパネルで注文する形式を取り始めている。回転寿司は廃棄ロスを生まないように回す皿の数を調整するのが難しいと言われている。
そんな流れに真っ向から反発し、回転に拘っている。確かに根室花まるの店舗では、回転するレーンに客さんの手が伸びている。この手に取ってもらうために根室花まるでは以下のような点に気をつけているという。
ひとつは鮮度感。その鮮度感を出すために敢えて客の見えるところで魚を調理する姿を見せるようにしている。
その寿司を作る過程を見せることによって、客はついつい手を伸ばしてしまうのである。更に、握りたてをレーンに乗せる前に大きな声で客に宣伝する。そうすると客が手をのばすのである。
また、寿司を置く位置にもこだわりがあり、ネタに興味を持った客を見つけ、その客の上流40センチのところに皿を置く…すると客は皿をとるのだという。
根室花まるの清水社長は、どんな小さな改善でも妥協せず行ってきた。日々行う店舗回りでは、その日訪れた店舗の問題点をメモし、店舗にフィードバックする。
ひとつでは、改善の意味はないかもしれないが、その積み重ねが意味を持っていくし、お客さんもなんとなくそれを感じてもらえる。日々積み重ねていくことが、よりお客さんに喜んでもらうサービスを提供するためのポイントである。
と、言う。
そんな細かい改善を行い、作り上げてきた根室花まるだが、ここに至るまでには驚くべき道のりがあった。
根室はなまる清水鉄志社長の経歴
1952年、根室市に生まれた清水鉄志社長は、子供の頃から赤面恐怖症だったという。人と話そうとすると顔が赤くなるし、人と話さなくても想像すると赤くなったという。ところが、そんな清水社長が憧れていたのが、大好きだった落語家。
とにかく人を喜ばせたい
というのが、清水社長の思いだった。
19歳で、上京し、落語家の弟子を申し出るが、断られ、劇団員になるなど、その日暮らしの生活が続いた。結局、何もものにならず1977年、再び故郷の根室市に帰ってきた。働き口のあてもない清水社長は借金をしてスナックを始めた。
相変わらず人と喋るのは苦手だったが、東京でバイトしていたスナックでの経験を活かし見よう見まねでなんとかやりくりしていた。
そして、40歳になったとき
自分はこれで良いのだろうか、このままで良いのだろうか
という漠然とした想いがふつふつと湧いてきた。
出張先の街ではじめて見かけた回転寿司の店。清水社長の目に印象づいたのが、幸せそうに食事をする家族の光景だった。
それを見た清水社長は…
これを根室の人たちは待っているはずだ、根室で回転寿司を開こう。人々に喜んでもらえる店を。
1994年、回転寿司 花まる1号店をオープンさせた。
しかし、店に回転寿司の経験のある従業員はいなかった。開店後しばらくはまともな寿司を提供できず、あっという間に苦境に立たされることになった。
そんな苦境の中でも心に刻み続けた言葉がある。それが京セラ創業者の稲盛和夫氏の言葉。
誰にも負けない努力をする
この言葉ばかりをずっと自分に言い聞かせていた。
清水社長は、他の町の回転寿司での修行を行うことにした。少しずつ店をよくする努力を始めた。根室の漁港に行き、少しでも良い魚を提供できないかと考え、店舗では少しでも新鮮な魚を提供できる方法はないかと考えた。
こうしてお客さんからの評価をもらえるようになり、札幌への進出が決まった際に気づいたことが、地元では一般的だった根室の魚を客が思いの外喜んでくれる光景だった。
こうして清水社長は誰にも負けない努力を続け、根室の文字に負けない回転寿司店を作り上げたのである。
はなまる本部には、清水社長が大ファンだと公言する京セラ創業者 稲盛和夫氏の写真がたくさん貼ってある。
京セラは創業1959年、年商は1兆4,000億円。この会社を1代で築き上げたのが稲盛和夫氏である。
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
というのが、稲盛和夫氏の根本の考え方である。
稲盛和夫氏が主催する経営塾「盛和塾」の会員は1万1,000人を越える。はなまる清水社長が根室店をオープンさせた時にたまたま手に取ったのが、稲盛和夫 氏の名言をおさめたカセットテープである。
稲盛流の経営術
地方農家が銀座で人気店
銀座の裏通りにある銀座のジンジャー。客の目当てはフルーツかき氷。ここの店の特徴は特製しょうがミルクである。この人気店を作ったのが石川県で果物農家を続けてきたぶどうの木の本昌康社長である。
親から引き継いだ農園の横にカフェを作ったのをきっかけに、今では全国に約30店舗のカフェやレストランを経営している。
そんな本さんの成功を支えた稲盛和夫氏のひと言が…
絶えず現場に足を運ぶことでヒントを見つけ出すことができる
である。
夫婦で大逆転!こだわりのパン屋さん
奈良県にあるアルペンローゼというパン屋さん。経営するのは坂本さん夫婦は、いまや3店舗を経営している。その成功を収めるために守った稲盛氏の言葉が…
自分の利益だけでなく、相手も利益が得られるように考える
である。
このお店の最大の特徴は、保存料を使わない無添加のパン。その無添加のパンづくりに拘ったきっかけが稲盛氏の言葉だったのである。
どうすれば、お客さんの利益になるのかを考えた結論が、お客さんの健康を第一に考えるということだったという。