こんにちは。ひとりで.comです。
2017年6月27日放送のガイアの夜明けは「若者が磨く!新〝特産品〟」と題して岡山県倉敷市児島エリアのジーンズ産業を全国に広めようとするEVERY DENIMと全国の特産品をプロデュースするハピキラFACTORYを特集します。
若者のフィルターで地方の特産品を復活させる取り組み
【目次】
ジーンズの聖地:倉敷児島エリアでジーンズの聖地を再び全国へ
東京豊島区の商店街にあるとんかつ一平支店。中はカフェになっており、店の一角でジーンズが売られている。このジーンズには驚きの特徴がある。
このジーンズ、従来のストレッチ素材の5倍も伸び縮みする”伸びるジーンズ”である。
EVERY DENIMというブランドである。
山脇曜平さんと島田舜介さんという兄弟が手掛けたブランドである。EVERY DENIMは全国で試着会を実施し、常識を打ち破るこだわりのジーンズを販売してきた。
EVERY DENIMの第一弾:ベンガラ
岡山県倉敷市児島、EVERY DENIMはこの場所で産声をあげた。とある工場と共同で製造した第一弾のジーンズが”ベンガラ”というジーンズである。名前の由来は、ジーンズにある黒い色ムラ。実はこれ、ベンガラという顔料が使われている。
ベンガラとは酸化鉄から作る天然の顔料である。古くは江戸時代から建物の防腐剤として使われてきた。今も古い家にはベンガラが使われた建物が残る。
しかし、昭和40年代から化学染料が普及し、現在ではほとんど使われていないという。
上記の工場では、ベンガラを使用したジーンズを作ろうと2年前から研究を重ね、生地の染料として使う技術を開発したのである。
日本国内でジーンズが作られているのは、ほぼ岡山県の児島エリアのみとなっている。
ジーンズの歴史
アメリカで作業着として誕生したジーンズは日本でも広く知られるようになったのは1960年代。
1970年代になると、ベルボトムと呼ばれる裾が広がったブーツカットのデザインが流行るようになった。
1980年代になるとケミカルウォッシュと呼ばれる化学薬品で脱色したまだら模様が特徴のジーンズが流行。
2000年代になると、スリムなデザインのジーンズが流行り、股上が短いローライズと呼ばれるモデルが一般的となった。
ジーンズの町、倉敷市児島エリア
岡山県倉敷市児島。ジーンズ産業が栄え、繊維から縫製にかかる工場が集積している地域である。そのひとつ、ニッセンファクトリーではジーンズ工場の見学会が実施されていた。
石と一緒に洗うことで古着感を出すストーンウォッシュや色落ち加工のためのアタリ加工が手作業で行われていた。このツアーを主催したのがEVERY DENIM の2人である。
温暖な瀬戸内海に面した児島エリアは辺り一面に塩田が広がる塩の街として栄えていた。しかし塩分の多い土地では稲作ができなかった。そこで目をつけたのが塩分を吸収する綿花の栽培である。
収穫した綿花は学生服に加工され地域の発展に貢献した。その技術は戦後若者の間で流行したジーンズに応用され、児島エリアは国産ジーンズの聖地と呼ばれるまでになった。しかし、中国製など海外からの安価なジーンズの輸入に押され、1983年に546軒あった繊維工場は2014年には186軒にまで減少してしまった。
EVERY DENIMのきっかけと新商品開発
岡山市にある岡山大学にEVERY DENIM の舜介さんの姿が…実は舜介さんは環境学を学ぶ現役の大学生である。舜介さんは平日大学で研究を行いながら、休日にEVERY DENIM の活動をしている。
EVERY DENIMの2人は兵庫県加古川市出身。小さなころからジーンズが好きな兄弟だった。大学進学を機に弟の舜介さんは岡山へ。授業の一環で児島エリアを訪れ、ジーンズ産業の衰退を目の当たりにした。児島の持つ高い技術を多くの人に知ってほしいという思いから兄・曜平さんに声をかけ、2015年にEVERY DENIM を立ち上げた。
2人の新たな商品作りが始まっていた。2人が向かっていたのは児島にある生地メーカーのショーワ。ジーンズの街ならではの豊富な生地を手がけている。
社長がすすめたのは、横糸がシルクになっている”シルク混”という生地。通常のデニムとくらべても目が細かく光沢感があり、やわらかい肌触りが特徴である。
”シルク混”は縦糸が綿、横糸がシルクの構造となっており、通常のデニム生地と比較しても織り込むのに倍の時間がかかる。繊細なシルク混は縫製も難しいとされる。
デザインは弟・舜介さんが考案。ジーンズは履いていける場所が限定されがちというイメージがあるため、どこにでも履いていけるジーンズというコンセプトでデザインを設計した。
そのデザインを元にサンプルを製作する。”シルク混”は通常のジーンズと比べて生地が柔らかいため、ミシンで縫う際は、縫いシワがつかないようにゆっくり縫う必要があった。
早速できあがったサンプルを兄・曜平さんが試着すると思わぬ事態が…。
なんと、裏側の色がシャツに色移りしてしまったのである。ジーンズの裏地にも表と同じシルク混の生地を使ったことが原因だと考えられる。
シルク混に別の生地を縫い付けることによって、今の耐久性を損なわずに製品に仕上げようと改良を加えることとした。生地選びから8ヶ月でようやく試作品が完成した。
この新作ジーンズは10月から本格販売を開始予定で、価格は2万円前後になる予定だという。
全国の特産品を若者の視点でプロデュース:ハピキラFACTORY
長野県小布施町。人口およそ1万1,000人。人影もまばらなこの街にハピキラFACTORYという会社の正能 茉優さんと山本 峰華さんの姿があった。
2人が訪れたのは小布施堂という90年以上の歴史をもつ和菓子のお店である。名物は栗鹿の子。
正能 茉優さんと山本 峰華さんは4年前の大学の時、小布施町を訪問。そして伝統のお菓子栗鹿の子をもっと若者に知ってもらいたいとパッケージのリニューアルを提案した。
赤いハート型にしてバレンタインデー向けに変更し、渋谷PARCOで販売したところ、わずか10日間で2,000個が完売した。
ハピキラFACTORYのこれまでのプロデュース
彼女たちがこれまでに手掛けた商品が例えば、刃物の町である岐阜県関市の包丁「10年使えるmy包丁」や茨城県常陸太田市の「SAKE DE PUMPKIN」という里川カボチャを使ったかぼちゃの焼酎をプロデュースした。
再び小布施のプロデュースを
そしていま、彼女たちは再び小布施町を訪れ、農家を売りにしたいという小布施の人たちの想いをどう全国に広げるかのプロジェクトを推進していた。
小布施町では、ももやクリ、りんご、ぶどうなど様々なものが作られているが、これと言った大きな特産品がない…というのが悩みのひとつであった。
その悩みに対してハピキラFACTORYの正能 茉優さんと山本 峰華さんが出した結論は「小布施の果物」として全体をブランド化するというもの。そのためのパッケージを考えていた。しかし、オリジナルのダンボールを作ろうとすると1箱およそ210円。普段農家で使用しているダンボールは約120円であり、大きな負担となってしまう。
2人は価格を下げるために茶色いダンボールにシールを貼ることによって、ブランド化を行おうとしている。
【最初のデザインと完成したデザイン】
2017年6月、ネット販売のサイトをハピキラFACTORYの2人が開設した。オリジナルのシールで小布施の果物を着飾った「My農家BOX」が誕生しました。
売り方にも工夫を凝らし、「年3回」の発送、「何が入っているかはその時のお楽しみ」、さらに旬の果物を美味しい時期に送るため「発送日は未定」とした。
異例づくしの商品だが、この日までの5日で既に10件の注文があったという。年内に1,000件の受注を目標にしているといいます。
国産ジーンズの聖地でこれまでにないジーンズを生み出す兄弟、全国各地で特産品の新たな魅力を伝える20代の女子2人。地方の活性化のために若者たちが動き出している姿を伝えてきた。地方にもともとある技術やものが若者のフィルターを通すことで違った魅力をもち、人々にアピールする、そうした取組が出てくることを今後も楽しみにしたい。