こんにちは。ひとりで.comです。
2017年7月13日放送のカンブリア宮殿は『感動があって稼げる!農漁業の若き開拓者たち』と題して、萩大島船団丸 代表 坪内知佳(つぼうち ちか)さん、みやじ豚 社長 宮治勇輔(みやじ ゆうすけ)さんが登場します。
先細り感の強かったニッポンの一次産業を、感動があって稼げるものに一変させた若き開拓者がいる。
山口県・萩市で巻き網漁業を営む「萩大島船団丸」。坪内知佳(31)は荒くれ漁師20人を率いる若きリーダー。
なんと漁業は未経験、結婚を機に萩に移住してきたという異業種の参入者ながら、持ち前の行動力で、全国でも珍しい漁師の直販ビジネスに成功。”水産維新”を掲げて売り上げを大きく伸ばしている。
神奈川県・藤沢市で養豚業を営む宮治勇輔(39)は、慶應義塾大学卒業後、父の家業を受け継いだ。当時は豚肉を市場に出荷したら終わりの”名もなき農家”だったが、父が作る美味しい豚肉をブランディングしようと決意し、「みやじ豚」をスタート。常識破りの手法で直販を実現し、年商を7倍にまで引き上げた。
一次産業の未来を切り開く2人の強さに迫る。
『感動があって稼げる!農漁業の若き開拓者たち』
漁師の六次産業化をすすめる萩大島船団丸
山口県萩市は明治維新の胎動の地。吉田松蔭の私塾である松下村塾があり、多くの維新の志士を輩出したことで有名である。また、日本海に面したこの街は漁業の町としても有名である。
そんな町でいま水産維新を巻き起こしているのが萩大島船団丸である。この萩大島船団丸が行うのは巻き網漁である。
巻き網漁は運搬船と網船、灯船がそれぞれ連動して魚を一箇所に囲い込む。
ここで取れるのは、萩名産の瀬つきアジ。アジは回遊魚であるが、このアジは岩場に留まり、餌をたくさん食べるため脂がのって太っている。非常に希少なアジなのである。
獲った魚はその場で血抜きをして鮮度を保つ。
この萩大島船団丸を率いるのが萩大島船団丸 代表 坪内知佳氏である。萩にも漁業にも縁がなかった坪内さんは2010年60人の漁師を束ねて「萩大島船団丸」を結成。坪内氏に水産維新は様々なメディアでも取り上げられている。
坪内さんが代表についた頃の萩は、漁獲量の激減、魚価の低迷、手取りの減少という状況であった。船をおりるものもあとをたたなかった。獲った魚はセリで価格が決定するため、漁師に価格決定権がないのが当時の状況だった。
どうしたら漁業を救えるのか…坪内さんが考えたのが六次産業化であった。六次産業化とは、1次産業である漁師が2次産業の加工や、3次産業の流通・販売までを手がけることをいう。
坪内さんが考え出したのが、高付加価値化。それを実現したのが、鮮魚ボックスである。漁師が目利きをした良い魚をひとつの発泡スチロールに箱詰めし、市場を通さず直接販売するというモデルである。中抜きで浮いた分を漁師と消費者に還元することができる。
坪内さんの水産維新により売上は倍増。
坪内さんは2007年、21歳で萩に移住しコンサルティング業を始めた。その頃から漁師と関わりをもったことからスタートした。はじめはよそ者で漁に対する知識もない状態でことごとく漁師と対立をした。
坪内さんは、漁師たちに経営感覚を身につけてもらおうと動き始めた。さらに、漁に自分が出られない日はたったひとりで全国を飛び回り顧客開拓を行っていた。こうして漁師たちからも認めてもらえるようになり、獲った魚を直販で売る体制をすすめていたが、さらなる壁が立ちはだかったのである。
それが既存の流通という壁だった。坪内さんのビジネスは、漁協や仲買を無視する行為であり、当然猛反発をくらった。漁協や仲買の理解を得られなければ直販は実現できない、そう考えた坪内さんは、共存共栄をいかにして実現するかを考えた。
直販で売り上げた売上に対して手数料を漁協や仲買人に払うことで地元が潤う、そんな仕組みを考えたのである。
家業を継ぎ、いち農家がブランド豚「みやじ豚」をつくりあげる
神奈川県厚木にあるこばやし亭。30年続くとんかつ屋さんは、最近人気だという。絶品の豚カツのひみつは、新ブランド豚肉である。2ヶ月前から取り入れたところ大好評となり、売上も20%アップしたという。
そのブランド肉の正体とは…みやじ豚 である。
神奈川県藤沢市で行われている豚肉祭り。この祭りを主催していたのが、みやじ豚 代表 宮治勇輔 社長。
27歳のときにサラリーマンをやめ、家業の養豚業を継いだ宮治さん。一農家でブランド豚を作るという稀有なことをやってのけた。小さな家族経営ながら養豚業に革命を興した宮治さんは経済界からも注目を集めている。
みやじ豚の良さは大手百貨店でも認められている。松屋銀座でも売られており、他の豚と比較しても高い。
農林水産大臣賞も受賞した価値ある豚肉である。
そのおいしさの秘密は豚舎に隠されている。ところが、豚舎は病気の感染を防ぐため、部外者は立入禁止。みやじ豚は3種類の豚を掛け合わせたいわゆる三元豚の豚である。おいしさの最大の理由は特別な飼育方法にある。
通常はぎゅうぎゅう詰めの豚舎で育てるため、ストレスをかかえ、肉質にも影響する。しかし、みやじ豚は腹飼いという方法をとっており、囲われた檻の中には兄弟豚だけしか入れずに飼育し、ストレスを与えないように心がけており、その結果高品質の豚が育つのだという。
そんなみやじ豚はいまやミシュラン三つ星の日本料理店幸庵でも使われるほどその味を認めてもらっている。
養豚農家の長男として生まれた宮治さん…しかし、家業を継ぐとは考えたこともなかったという。慶應義塾大学を卒業後、パソナグループに就職。
そんな中、自分にしか出来ないことはなんだろうと考えていたときにふと思い出したのが、友人を招いて父が育てた豚をふるまった自宅でのバーベキューでのひとコマ。
お前んちの豚、うまいなぁ…どこで買えるんだ?
しかし、当時の養豚農家は、自分たちの豚がどこで買えるかは知る由もなかったのである。
それをきかっけに27歳で脱サラし、自分の家の農家で育てた豚がどこで売られているか、売ることができるかを明確にしようと考えた。
そこで立ちはだかったのが、父親である。
父親からは、お前が言っていることは夢物語で地に足がついていない…と何度も断られたが、入念に説得を行い、なんとか首を縦に振ってもらった。
通常、養豚場で育てられた豚は食肉処理場に運ばれ、部位ごとにわけられ、問屋がそれを購入する、そしてそこからレストランやスーパーなどに運ばれるのであるが、その時点で他の農家の豚と混じってしまい、どこに販売されているかがわからなくなってしまう。
しかし、宮治さんは常識を覆す手法を編み出したのである。みやじ豚では、注文があった肉を問屋から買い戻すという手法を思いついたのである。
買い戻した豚肉はその場で顧客の注文通りにカットしてもらう。更に梱包から発送までを問屋に委託することで、いち農家がブランド豚を確立するに至ったのである。
また、自社の通販サイトも開設しだれでも直接買えるようにしたのである。いまや、みやじ豚の直販は、全体の6割に達し売上は7倍にもなったという。何よりのメリットはお客さんの顔が見えることである。