[がっちりマンデー!!] ( 花畑牧場 / シェーキーズ / ウェンディーズ ) 一大ブームを巻き起こした!「あの店は今」どうなったのか!? 一世を風靡した「花畑牧場」が…「シェーキーズ」が…驚きの現在!! – 2017年7月23日

がっちりマンデー
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年7月23日放送のがっちりマンデーは「一大ブームを巻き起こした!「あの店は今」どうなったのか!?一世を風靡した「花畑牧場」が…「シェーキーズ」が…驚きの現在!!」と題して3つの懐かしのお店を紹介します。

 

花畑牧場・シェーキーズ・ウェンディーズ

 

あの店はいま:生キャラメルの花畑牧場

 

花畑牧場
花畑牧場

 

生キャラメルが大ヒットした花畑牧場。タレントの田中義剛さんが社長ということでも有名でした。

一大ブームを巻き起こしたのが2007年。手作りにこだわった花畑牧場生キャラメルはとろけるような食感で大ブレイク。当時のお店は2時間 – 3時間の長蛇の列ができていた。もはや社会現象といえるほどになった。

しかし、最近は生キャラメルという言葉は聞かなくなった。

北海道帯広市の花畑牧場では、発売当時1種類のみだった生キャラメルは現在10種類にまで増えて、限定商品まで販売している。その中でも特に人気なのが、生キャラメル極だという。

 


現在、生キャラメルの販売数は月に30万個ほど売れているという。実は花畑牧場の名前を聞かなくなったのは、戦略としてメディアに出ないようにしているからだという。

スイーツはいわゆるアイドルと同じで、人気が出るとその後すぐに卒業してしまう…これだと長期的に売れ続けて欲しいと考えるビジネス目線で考えると非常に厳しいため、メディアに出なくても売れるように、商品の多様化を行っている。

スイーツ以外を扱うことで売上が安定し、結果的に会社はそのほうが儲かるという。

花畑牧場が扱うモッツァレラチーズは現在全国3,000店舗のスーパーで取り扱っており、1日に6,000個も売れるのだという。

 

しかし、なぜ花畑牧場は次々とヒット商品を出せるのか…工場にその秘密が隠されていた。例えばチーズの製造は手作りにこだわっており、その日のチーズの状態を見ながら、上手くかき混ぜ品質の安定を図っている。

また、大手企業は製造ラインをひいているため、さまざまな種類の商品を作るのに適していない。しかし、手作りで製造している花畑牧場では、手作りであるがゆえに小回りがきき、チーズでもさまざまな種類が作れ、取引先から好評となっているのである。

 

さらに、業務用のチーズも製造しており、しゃぶしゃぶ温野菜の鍋に入れるチーズは花畑牧場が作っているという。月に15トンほど製造しており、これが安定して量を提供できているという。他にもデニーズのパスタについているチーズや、俺のイタリアンで販売されている生クリームの入った幻のチーズも花畑牧場製だという。

こうして、食材を全国6,000店舗に卸しているのだという。特にレストラン等で扱うチーズの場合、包丁を使わなくても良いチーズというニーズが強く、花畑牧場の工場は機械じゃないためこれが実現できているのだという。

 

さらにチーズだけではなく、タルトも作っており、ローソンで取り扱っているタルトは花畑牧場が作っているのだという。

 

 

あの店はいま:アメリカ発のシェーキーズ

 

シェーキーズ
シェーキーズ

 

アメリカ発のピザレストラン:シェーキーズ。今から44年前の1973年にブームだったレストランである。1970年代前半はマクドナルドやケンタッキーなど外食産業の出店ラッシュだった時期である。

そんな時期にシェーキーズはピザレストランの先駆けとして登場した。その最大のウリはランチでピザの食べ放題スタイルだった。その店舗数も飛ぶ鳥を落とす勢いで1994年には90店舗まで拡大していた。

 

最近名前を聞かなくなったシェーキーズだが、実は今も行列ができるほど食べ放題が人気となっている。しかし、ここに来るまでには紆余曲折があったのだという。

 

90年代に入ってティラミスのブームとともにイタ飯ブームによりイタリアンレストランの出店ラッシュが起こり、イタリアンが珍しくなくなってしまった。さらに宅配ピザが登場し、90店舗あったのが2001年には17店舗まで減少してしまったという。

 

そこからシェーキーズ は営業方針を大きく変換。これまで学生をターゲットとしていたが、学生だけではなく、家族を取り込む作戦に変更した。

平日のランチのみが食べ放題だったのが、夜も休日も食べ放題を展開するようにし、その食べ放題のメニューも増やした。これまでピザ・パスタ・フライドポテトだけだったがサラダバーをはじめ、ドリンクバーやカレーライス、ソフトクリームなども食べ放題メニューに組み入れた。

2006年から、シェーキーズてんやロイヤルホストなどを手がけるロイヤルグループに運営会社が変わっていた。さまざまな食材をグループ会社のネットワークを活用して仕入れることでバラエティ豊かな食べ放題をリーズナブルに提供できるようになったのである。

1店舗あたりの売上高は、2014年に1億1,100万だったのが、20%以上も増え1億3,800万となった。さらに店舗数も17店舗から22店舗と増加傾向になっている。

 

 

 

 

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あの店は今:ハンバーガーのウェンディーズ

 

ウェンディーズ
ウェンディーズ

 

アメリカ発のハンバーガーチェーン、ウェンディーズ。日本に上陸したのは1980年。1980年は原宿でホコ天で竹の子族が踊っていたバブル前夜の時代である。

そんな時代に銀座に1号店をオープンしたウェンディーズは、本場アメリカのボリューム満点のハンバーガーを出し、人気になった。その後順調に店舗を増やし、2000年頃には全国100店舗を突破した。

しかし、最近あまり見かけなくなったように思える。

実は現在、ウェンディーズはファーストキッチンと名前を並べたお店に変身していた。

 

ウェンディーズ ファーストキッチン
ウェンディーズ ファーストキッチン

 

ここに至るまでウェンディーズにはいろいろあったのだという。かつて、ウェンディーズの1号店を開店させたのは、スーパーのダイエーだった。一時期は100店舗まで増えたものの、ダイエー本体の調子が悪くなり、牛丼チェーンのゼンショーが運営会社となった。しかし、その後も成長が見込めず71店舗に店舗数は減少し、2009年には一度日本から撤退することとなった。

しかし撤退から2年度、ウェンディーズは再び日本に戻ってきたのである。その立役者がアーネスト・M・比嘉さんというハワイ生まれの日系3世の方である。実はアーネスト・M・比嘉さんはドミノ・ピザを日本に持ってきた人物としても有名で”日本上陸のプロ”とも言われている。

アーネスト・M・比嘉さんにとってもウェンディーズの再上陸は難しかったという。好立地の場所は他のチェーンに押さえられていたため、なかなか出店場所が見つからなかった。更にウェンディーズにはサイドメニューが少なく女性客が少ないという弱みを持っていたのである。

再上陸から2年経っても、売上は横ばいで店舗数も2店舗のままという状態だった。そこで踏み切ったウルトラCがファーストキッチンとのコラボレーションだったのです。

既にファーストキッチンは全国に128店舗を展開しており、そのほとんどが駅前の好立地であった。さらに、パスタやポテトなどサイドメニューも42種類と充実していた。そこで2015年、2店舗のうちの1店舗を実験的なコラボ店舗として出店したところ、前年対比の売上が60%アップしたのである。

そして、ファーストキッチンそのものを買収し、2016年に6店舗、2017年に14店舗のコラボ店舗に改装し、その結果として概ね前年対比30%アップが達成できているのだという。

こうしてウェンディーズはコラボブランドとして次々に展開している。