こんにちは。ひとりで.comです。
2017年7月23日放送の林先生が驚く初耳学は「日本でオンリーワンの場所きっかけの初耳学」と題して消防車やチェーン店、棒高跳びなどに関する初耳学を紹介します。
日本でオンリーワンの場所きっかけの初耳学
【目次】
日本で成田空港にしかないストライカー6×6のその最大の特徴とは?
2017年7月はじめに、福岡や大分を襲った九州北部豪雨。その救助活動で注目された消防車両が「レッドサラマンダー」。最大の特徴は、荒地や瓦礫の上、深さ1.2メートルまでの水中も走行可能であること。日本にたった1台しかない全地形対応の消防車である。
一方、火災への迅速な対応が特に求められるのが、飛行機や空港である。例えば、飛行機のタイヤの中に入っているのは、空気ではなく窒素である。酸素が含まれない窒素ガスは爆発や火災のリスクを最小限にできるとされている。
成田空港にアメリカから導入された緊急車両がストライカー6×6である。この車両の大きな特徴とは?
空港は風が強く、炎が広がりやすい上に火元の機体が密閉されており、消火が困難な事が多い。その問題を見事に解決するのが、このストライカー6×6なのである。
その特徴は、車両の上に取り付けられた放水銃にある。まず、アームが自由自在に動き、放水の高さや距離を変えることが可能となっている。そして、ノズルの先端についた穿孔ノズルが機体を貫通させて機内を消火することができるのである。
エスプレッソは10秒以内に飲まないとまずくなる?
どこの街でも同じものが食べられるチェーン店であるが、実は中にはとある場所でしか食べることができないメニューをもつ店がある。例えば、名代 富士そばの慶応三田店限定の二八そばや自牛丼チェーン店松屋のモッツァレラトマトスープ麺などがある。
さらに、全国194店舗を展開しており、リーズナブルに天丼を食べることができる天丼のてんや。その羽田空港店では海宝天丼という天丼がある。この天丼には、ここだけしか食べられないサケの天ぷらが入っている。年間7,000万人が利用する羽田空港において、海外の人にも天丼の魅力を味わって欲しいと願って作られたオンリーワンメニューである。
さらに同じく羽田空港では、ドトールコーヒーもオンリーワンメニューを展開している。ドトールコーヒーと言えば、並み居るコーヒー店の中でも顧客満足度No.1。
ここのドトールコーヒーでは、特別なジャーマンドックが食べられるのである。ザワークラウトやスクランブルエッグなど他店にはないトッピングをすることが可能となっている。
ちなみに、ドトールコーヒー幕張店では本日のプレートというご飯が食べられ、犬を連れて入ることができる。
【17年度カフェ部門 顧客満足度】
1位 | ドトールコーヒー |
2位 | ミスタードーナツ |
3位 | コメダ珈琲 |
4位 | カフェ・ベローチェ |
そんなコーヒーにまつわる初耳学を出題。ドトールコーヒーのメニューにもあるエスプレッソ。短時間で抽出され深いコクが味わえるものだが、その美味しさの寿命はたったの10秒だという。これはどういうことだろうか?
エスプレッソは抽出した直後、3層にわかれており、上からクレマ・ボディ・ハートと呼ばれている。しかしこの3層はおよそ10秒ぐらいで混ざってしまうのである。10秒経つと泡とコーヒーが完全に分離されてしまい、口の中でも混ざり合わなくなってしまう。泡とコーヒーが融合している状態がエスプレッソの美味しい状態であり、それが分離していしまうのが10秒ほどのため、10秒が寿命ということなのである。
棒高跳び低迷の分岐点は第二次世界大戦?
2008年に誕生した味の素ナショナルトレーニングセンター。この場所が、日本のオリンピックでのメダル獲得に大きく寄与しているのだという。味の素ナショナルトレーニングセンターは柔道・レスリング・卓球・バレーボール・体操などオリンピック競技の最新設備が揃うトレーニング施設である。
スポーツの世界では、本番といかに同じ環境で練習できるかが非常に重要である。例えば体操で言えば、器具が少しでも違ったり、床材の素材などによっても跳躍力等に影響が出てしまうのである。本番の環境でどういった設備が使われるのかによって、それと同じ素材を用いて練習することによって、本番と同じ状況を作り出しより好成績を出せるようにしているのである。
また、群馬県吉岡町には棒高跳びの練習施設がある。ベル・アスレチック・ジャパンと言う名の棒高跳び専用の室内練習施設である。棒高跳びは練習施設を整えるのが難しい競技のひとつで、しっかりとした設備を備えているのは一部の高校や大学のみである。そのため、競技人口が伸びず、成績も伸びないという状況が続いているのである。
ベル・アスレチック・ジャパンは施設利用料も1日100円でポールも無料で貸出してくれるという。この施設を作ったのが、田中光さん。鳥人セルゲイ・ブブカとも親交があるのだという。
実は、棒高跳びは日本のお家芸だったのをご存知ですか?1936年のベルリンオリンピックでは日本人選手が銀メダル・銅メダルを獲得していたほどである。しかし歴史的に見ると日本人がメダルを取れなくなった分岐点があったのである。
それが、第二次世界大戦である。いったい第二次世界大戦でどのような分岐点があったのだろうか?
第二次世界大戦前まで棒高跳びのポールに使われていたのは日本の竹だった。日本の竹は世界的に見ても上質でしなりも良かったため、世界的に利用されていた。日本選手にとっては、自由に選べた素材のため、日本人にとっては有利だった。
しかし、第二次世界大戦で日本製の竹を手に入れることが困難になり、海外諸国は竹以外のポールを開発することになった。そして終戦から20年後の東京オリンピックでは、今のポールのルーツであるグラスファイバー製が主流となり日本人が優位でなくなってしまったのである。すなわち日本の竹という地の利を失ってしまったことがメダルから遠ざかる一員となったのである。
油屋騒動が瞬く間に広まった理由とは?
1796年、伊勢の遊郭「油屋」にひとりの客が訪れた。それが、孫福斎(まごふく いつき)である。その孫福についた遊女が”お紺”という女性だった。孫福はお紺に一目惚れだったが、お紺は上の空…実は同じタイミングでお紺が想いを寄せる男性が来店しており、気が気ではなかったのである。
耐えられなくなったお紺は、孫福を置き去りにして想いを寄せる男性のところに行ってしまったのである。
それに激怒した孫福は錯乱状態となり、遊女や客に斬りかかったというのである。この騒動で3人が死亡し6人が負傷したという。そして孫福は逃げ切れないことを悟り自害してしまったのである。
しかし名もない一般人が起こしたこの事件、わずか10日で日本各地に広まったというのである。テレビもインターネットもない時代にどのように拡散していったのだろうか?
当時の伊勢は”お蔭参り”で日本全国から人が詣でにやってきて、帰っていくような状況であった。さらに伊勢と大坂は地理的にも近く、この話がすぐに伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)という歌舞伎となった。その結果、10日ほどで日本各地に広まったのである。
花火大会で打ち上がる黒い花火とは?
さまざまな色の花火が打ち上がるが、実は花火大会では必ず黒い花火が打ち上がっているという。この黒い花火とはどのような効果を見越してあげられているのだろうか?
黒い花火はもともと江戸時代の火薬の調合ミスで誕生したものだが、それを演出として使うアイディアが明治以降に編み出され、鮮やかな演出のために今でも用いられているのである。
花火は炎色反応の最高傑作と言われ、炎色反応は以下のように覚えられている。
”リアカーなきK村動力借るするもくれない馬力”
リアカー(Li赤)
なき(Na黄)
K村(K紫)
動力(Cu黄緑)
借ると(Ca橙)
するもくれない(Sr紅)
馬力(Ba緑)
線香花火の長持ち技
夏の花火、線香花火。実は線香花火は2つの簡単な工夫で長持ちさせることができるという。1つは準備、1つは持ち方である。その工夫をしてみるとおよそ10秒ほど楽しむことができるという。
それはどのような工夫だろうか?
ひとつめは、火をつける前に火薬の根元部分を少し捻る。
ふたつめは、火をつけた後に45度に傾ける。
こうすると、約10秒ほど長持ちさせることができるというのである。
蚊取り線香の中間地点はどこでしょうか?
正解はこちら。
※詳しい説明はありませんでした。