[未来世紀ジパング]一生に一度の体験!”奇跡の島”太平洋最後の楽園とニッポンの絆 – 2017年8月13日

未来世紀ジパング
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年8月13日放送の未来世紀ジパングは「一生に一度の体験!”奇跡の島”太平洋最後の楽園とニッポンの絆」と題してミクロネシア連邦と日本の関係について特集します。

 

太平洋の要衝が危機!

 

 

奇跡の島:ミクロネシア連邦のジープ島

 

太平洋に浮かぶ絶景の島、ミクロネシア連邦。グアムからほど近くにある太平洋に位置する600もの島々から構成される国である。日本からはグアムを経由して5時間半ほどのところにある。

ミクロネシア
ミクロネシア

 

そのミクロネシア連邦にあるのが、世界一の絶景と称されるチューク諸島のひとつジープ島である。島一周たった111メートル。サンゴに囲まれた白い砂浜はまさに奇跡の島である。

島にあるのは男女別のコテージ2棟のみ。もちろん目の前の海でシュノーケリングが楽しめる。少し泳げば、サンゴに群がる色とりどりの魚に出会える。

そして、島から少し船を出すとクオープ環礁(キミシマ環礁)がある。世界でも有数の透明度を誇る海は深さ45メートルほどでも海の底が船から見えるほどである。ここでは、野生のイルカと一緒に泳ぐこともできる。

 

実はこのジープ島、日本人限定の島なのである。ジープ島の責任者は日本人の吉田宏司さん。そこにはある想いがあった。

日本人が来てのんびりできる癒やしの島・楽園があるといい

吉田さんがジープ島を開いたのは20年ほど前。バブルが崩壊し、自信を失っていた日本人を元気づけたいとこれまで1万5,000人が訪れたという。

 

ジープ島
ジープ島

 

そんなジープ島にはいくつかのルールがある。

1つ目は水。水はひとり1日バケツ1杯のみ。水は雨水を使って確保しているが、雨は気まぐれにしか降らないからである。

2つ目は、時計を見てはいけない。自然に身を委ね時を忘れることで、自然を感じて欲しいからである。もちろん、この島には、テレビもネットもない。

 

 

宿泊は1日最大15人まで。島への宿泊は1泊からでも可能である。

 

 

外交の観点からミクロネシア連邦を考えてみると、歴史的にも安全保障の視点からもずっと要衝であり続けているという特徴を持っている。

そんなミクロネシアがいま太平洋の覇権争いの最前線になっているのだという。

 

実はミクロネシアは16世紀の大航海時代、スペインが自国領土だと宣言していたのである。その後19世紀末からドイツが覇権を握り、1920年〜1945年までは委任統治領として終戦まで日本の統治下に置かれていたのである。

そして戦後はアメリカが統治。1986年にはミクロネシア連邦として独立したのである。ミクロネシア連邦の初代大統領はトシヲ・ナカヤマ氏、前7代大統領はエマニュエル・モリ氏と日系人だったのである。現在でもミクロネシア連邦は日系人比率が高く5人に1人が日系人であるという。世界で最も日系人比率が高い国なのである。

 

 

 

 

日本、戦争の名残り。日本との密接な関わりについて

 

そんなミクロネシアには、日本との繋がりが今でも色濃く残っているのだという。ミクロネシア連邦のチューク諸島(トラック諸島)。

日本から輸入された際に記された日本語をそのまま残しておくほど、日本好きの人が多い。チューク州は人口10万人のミクロネシア連邦の半分、5万2,000人が暮らしている。

ミクロネシア連邦は土地柄、魚が豊富に取れるが、その食べ方は日本風のものが多く存在している。例えばかつおを生でさばき、醤油をつけて玉ねぎをスライスし、ライムをかけてかつおのたたき風に食べたり、シャコ貝を塩辛にして食べたりする。

 

かつてここには、旧日本海軍の要塞と呼ばれる拠点があった。当時、世界最大を誇った戦艦武蔵を固定していた巨大な係留ブイがいまでも海に残っている。

この周辺にある夏島や竹島には、日本軍の駐留基地があり、今でも当時空襲をうけた爪痕が残されている。1944年、アメリカ軍によるトラック空襲があった。

集中砲火を浴びた艦隊が40隻以上も海に沈んだ。その船が今も引き上げられることなく、そのままの形を留めている。

連合艦隊があった夏島にはかつて映画館や旅館、新聞社などがあったという。中には、横須賀に本店があった海軍御用達の料亭「小松」のトラック支店もあった。さらにこの小松は連合艦隊司令長官 山本五十六が贔屓にしていたのだという。

しかし空襲で街は壊滅。1万人以上が犠牲になったという(当時ミクロネシアには8万人もの日本人が居住していた)。

 

 

 

日本の軍事ラインの最大勢力は以下のように太平洋に広げられていた。その中心に位置したトラック諸島、そして、アメリカと軍事協力していたオーストラリアを分断できる位置にあったトラック諸島は日本におって非常に重要な地位を占めていたのである。

軍事ライン
軍事ライン

 

 

ゲストのいっこく堂さんの父は1935年にサイパンで生まれ、その後3歳から9歳までミクロネシアのポンペイで育った。日本に帰国する際にトラック空襲にあい、自力で泳いで島にたどり着き、家族と合流し、台湾を経由して沖縄に帰ったのだという。

 

 

 

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ミクロネシアの新たなコショウ産業:ポンペイ・ペッパー

 

浦島太郎の竜宮城とも言われているのが、ミクロネシアにある”ナンマドール遺跡”である。11世紀から15世紀頃の海上都市軍で、2016年に初の世界遺産に登録された。その影響もあり、海外からの観光客も増えている。

そんな観光への期待が高まっているポンペイ州では、就業人口が少なく、人工の4割ほどしか就業者がいないのだという。それ以外の人たちは家の周辺に生えているミクロネシアの主食であるパンの実を収穫し生活しているのだという。

そんなミクロネシアではいま、コショウの栽培が盛んになっているというのだ。コショウを栽培することで、これまで年収ゼロだった人が年収28万まで稼ぐことができるようになり、洗濯機や電話機といった電化製品を購入することができるようになっている。

そのコショウをミクロネシアで広めているのが、”ミスターペッパー”という異名を持つ日本人だという。それが植本盛さん(86歳)。30年以上、ミクロネシアでコショウを作り続けているのだという。

ここで作られているコショウがポンペイ・ペッパーで、世界から高い評価を受けている。日本での販売価格は20グラム860円ほどの高級品である。

植本盛さんの父親は、統治時代、ミクロネシアで南洋貿易株式会社という貿易会社を営んでいた。そして1930年、植本盛さんはポンペイで生まれた。各地で戦火からなんとか生き延び、1945年の終戦後、初めて日本に帰国した。

しかし、戦争に巻き込んでしまったミクロネシアの人が忘れられずまたポンペイの地に戻ってきたのだという。そして、やる気のある人にはコショウの苗を無償で提供し、高値で買い取る仕組みを構築した。

ミクロネシアの新たな産業として成長しつつあるのである。ポンペイ・ペッパーの特徴は完全有機栽培で、気候のおかげで年に4回も収穫できるため、栽培に適しているのである。

 

 

 

2023年財政危機:アメリカと中国との国交

 

実は現在ミクロネシア連邦は国家財政の大半をアメリカの援助で賄っている。ミクロネシア連邦が独立した際にアメリカとの協定で、アメリカが安全保障の責任を持ち軍事施設を建てる権限を有する代わりに毎年巨額の援助をすると約束したのである。

その約束が2023年までとなっているのである。

トランプ政権での内向きの政策が強まる一方で、この協定が延長されるかどうかの不安が国内で広がっているのである。

 

そんな中、ミクロネシア連邦に注目しているのが、中国である。ミクロネシア連邦の両隣のパラオとマーシャル諸島は台湾とは国交があるが、中国とは国交がない。ミクロネシア連邦は中国・アメリカ両国と国交があるため、ここを強めることができれば、両隣国への広がりを期待できるのである。

 

中国は、沖縄から南シナ海までの領域を”第1列島線”と呼び、絶対的な対米防衛ラインという位置づけをしている。さらに小笠原諸島からグアム島、そしてミクロネシア連邦を繋ぐ線が”第2列島線”と呼び、有事の際にアメリカが作戦を展開しにくくするラインと位置づけている。

 

 

 

中国による建造と日本企業による支援:マルハニチロ

 

近年、ミクロネシア連邦内では、中国が政府関連施設を次々に建設し、ミクロネシア連邦の政府との関係を深めている。ポンペイ州の官舎も中国政府に立ててもらったのだが、建造物自体がもろく、ところどころ崩れかかっているのである。中国政府に再三修繕を要請するも対応してくれないのだという。

 

一方、日本から支援としてマルハニチロのかつお漁があげられる。この漁場で世界のカツオとマグロの7割がとれると言われており、日本にとっても非常に重要な漁場なのだという。マルハニチロが立てた現地法人は年間売上高80億となっており、これはミクロネシア連邦のGDPの2割以上にあたる。