こんにちは。ひとりで.comです。
2017年10月5日放送のカンブリア宮殿は「行列のできる地方銘菓スペシャル①地元愛と親子の絆が生んだ感動の菓子メーカー」と題してホリホールディングスの堀昭社長が登場。
「シュークリーム」や「北海道開拓おかき」などの絶品菓子で大行列を作る北海道の菓子メーカー・ホリ。一番人気の「夕張メロンピュアゼリー」は、北海道のお中元ギフトで13年連続1位を獲得するほどの熱狂ぶりで、いまや年商は100億円に達するという。
有名な菓子メーカーが揃う北海道にあって、成長を続けてきたホリは、どうやって差別化をし、勝ち続けてきたのか?
人口1万7000人の小さな田舎町から発信する、親子の絆が生んだ”感動の菓子づくり”。北海道の魅力にこだわり続けた、ホリの独自経営術に迫る!
行列のできる地方銘菓スペシャル①
【目次】
百貨店での鉄板:北海道物産展
全国の百貨店で開かれる物産展で集客に鉄板なのが、北海道物産展である。白老牛やエゾシカの串焼き、タラバガニや各種海の幸など、多くの食材がある。
その中でも北菓楼というお菓子屋さん。ご存じの方も多いはず。北海道のお菓子といえば、甘いお菓子をイメージする人もいるかと思うが、この北菓楼の目玉は北海道開拓おかきである。
北海道で取れた8種類の海の幸で味付けしてあるのが特徴で、こんぶやイカなどの具材が大きく入っているため珍味としても人気である。週末の2日間だけで3,000個売ることも珍しくないという。
さらに、北菓楼で取り扱う北の夢ドームというシュークリームはその日できたシュークリームをお昼過ぎに空輸して届け、出来たてを味わえると人気である。
北菓楼は甘いスイーツでも圧倒的に人気なのである。
道内に9店舗ある北菓楼の本店は北海道小樽にある。試食品が並ぶとあっという間に人だかりができる妖精の森というバウムクーヘン。さらに年間3,000万個を売り上げるとうきびチョコ。誰をも魅了する北菓楼のお菓子にはある秘密が隠されているのであった。
北海道産にこだわる北菓楼の原料
北菓楼の本拠地であるホリホールディングスは札幌から車で1時間半ほどの北海道砂川市にある。かつては炭鉱の町として賑わっていたが、いまではピーク時の人口の3分の1まで落ち込んでおり、1万7,000人ほどである。
ここで作るお菓子がなぜおいしいのか…それは、扱っている素材が影響していた。使っている生クリームはすべて北海道産・バウムクーヘンに使う小麦粉も北海道産、バダーも北海道産、おかきの原料となるもち米も北海道産とほとんどの材料が北海道産となっている。
さらに…アップルパイに使われるりんごも北海道余市町のりんごを使っている。
このように、北海道を原産とする材料を30以上も使ってホリホールディングスの北菓楼のお菓子はできているのである。
北海道襟裳岬の昆布はおかきに合う昆布として北菓楼の素材として採用している。同じ道内でも襟裳岬の昆布は幅が狭くて身が薄くて甘みも弱いのが特徴である。おかきだからこそ、その特徴が活かせるのである。
ホリホールディングスの堀昭社長は北海道の原材料を使い、その現地の名前を商品の中にも入れることによって、頑張る生産者に恩返しすることも行っている。こうして生産者との良好な関係を深くしているのである。
会社を倒産の危機から救った夕張メロンピュアゼリー
北菓楼の中でも人気の夕張メロンピュアゼリー。ゼリーでありながら、本当にメロンを食べているような食感がする。
この夕張メロンピュアゼリーがホリホールディングス を倒産の危機から救った救世主であったのだという。
終戦後、炭鉱町の要所として栄えた北海道砂川市。炭鉱労働者に甘いお菓子が人気だったため、1947年、堀昭社長の父親が菓子店を創業したのが、ホリホールディングス のはじまりである。仲の良い3人兄弟の末っ子だった堀昭社長の幼心に目に焼き付いていたのが夜中から朝方まで煎餅を焼き続ける父親の背中だった。
しかし父は菓子作りに先行きの不安を感じたのか、こどもたちには安定した職業につくように望んだという。結局兄弟は大学を機に砂川市を離れ、堀昭社長は大手薬品メーカーに就職した。
そんな28歳のとき故郷の父から
炭鉱は閉山が相次ぐので、お店を閉店させる
と連絡があったという。
おりしも、エネルギーの石油転換や相次ぐ炭鉱の事故により次々と炭鉱が閉鎖し、砂川周辺の人口が急激に減少していた時期だった。
堀昭は次男の兄、堀均(前会長)と話し、躊躇すること無く会社を辞め砂川の地に戻った。そこからは、営業に日々が始まった。そしてひらめいたのが北海道の原料を活用したお菓子作りである。
そして目をつけたのが夕張メロンである。この夕張メロンで作ったお菓子を開発することができれば、次の柱にできるかもしれない…夕張メロンの味わいを1年中味わうことができるゼリーを作り始めたのである。そして、許可を得るために生産現場に試作品をもって赴いたのであった。
しかし最初は、夕張メロンの名前を汚すような商品は絶対に駄目だ、と断られ続けた。それでも堀達は試作品をもって何度も訪れ、時には、生産現場の平社員も巻き込み、改良を続け、やっとの思いで夕張メロンピュアゼリーの販売許可にこぎつけたのである。
これまでになかった、本物に似た食感は話題を呼び、1988年JALの機内サービスにも採用されるなど、北海道土産として人気を博した。
ホリホールディングスがすすめる工場の産業用ロボット化
ホリホールディングスの砂川工場にはピュロットくん、ホバットくん、キャッピーくん、ダンボーくん、パッくんといった産業用ロボットを導入している。
それぞれ、ピュロットくんは、夕張メロンピュアゼリーを箱詰めするロボット、ホバットくんはホリ・バウムクーヘン・ロボットから命名、と名前の付け方が非常に特徴的である。
この産業用ロボットの導入は、もちろん効率化が目的のひとつであるが、それ以外にも理由があるという。60歳・65歳になっても工場で働けるような環境を作りたい、というのが目的である。
これは、きつい作業はロボットに行ってもらい、負担の少ない作業を工場の従業員にしてもらいたいという堀昭社長の思いである。
こうした産業用ロボットの導入によって、長期雇用が実現できており、今や従業員の13%が60歳以上の人たちだという。
とにかく長く働いてもらいたい…そう考える堀昭社長は、従業員が社長に対してなんでも言える環境となるように常に配慮している。
以前、創立60周年パーティーを堀昭社長が企画していた際も、社員の高橋政仁さんはその創立記念パーティーを辞めさせたのだという。
高橋政仁さんは”従業員は何を望んでいるのか、パーティーよりも社員が喜ぶものを”という事で創立記念パーティーを辞め、正社員・アルバイト・パート関係なく、勤続年数に応じて10年以上なら10万、20年以上なら20万というような臨時ボーナスを与えたのだという。
こうした取り組みもあり、ここ10年ほどで60歳の定年で会社を辞めたのは1人いるかいないか、というほど、ホリホールディングスの従業員は長く勤めているのだという。
父・兄の教えを大事に社員とともに成長し続けるホリホールディングス
2010年、長年ともに会社を歩んできた兄の堀均(前会長)が逝去した。それからは堀昭社長ひとりで経営を行ってきた。兄がなくなった際、経営方針を記したクレドを作った。父と兄から教え込まれた教えを決して忘れないためである。
その中には…
「進化」:常に進化しないといけない。進化をやめることは後退だ。
「稼ぐ」:稼がないといけない。営業、販売はもちろんのこと、工場、事務員、みんなが稼ぐ。
というようなことが書いてある。さらに具体的な目標として売上100億円達成を掲げており、100億を達成した暁には、社員はハワイ、パート社員は東京ディズニーランドに行こうと記されていた。
これを書いた頃には非現実的な目標だと思われていたが、その後、無事100億円を達成しその翌年にハワイ・ディズニーランドに行ったのだという。