こんにちは。ひとりで.comです。
2017年10月30日放送の未来世紀ジパングは「インド洋の真珠 スリランカ争奪戦!」と題して内戦が終わって世界が注目するスリランカを特集する。
ここ数年、世界各国からの旅行者が急激に増えているという国、スリランカ。
北海道の8割ほどの小さな国土にある8つの世界遺産が特に人気だ。そんなスリランカだが、いまビジネスの面でも注目を集めている。
スリランカの内戦で、一時撤退していた日本企業が再進出、新たに進出する企業も続々と出てきている。また日本企業以上にスリランカに注目しているのが中国企業。高層ビルから、人工島、港の建設まで、大攻勢をかけている。
なぜいま、スリランカなのか?日本企業に勝機はあるのか?
インド洋の真珠争奪戦
インド洋の真珠:スリランカ
インド洋の真珠とスリランカの首都、スリ・ジャヤワルダナ・プラコッテ。実はこの首都の名前は元首相のジャヤワルダナ首相の名前がもととなっている。切手にもなっているジャヤワルダナ首相は以下のような遺言を残しているという。
右目はスリランカ人に、左目は日本人に
1999年、実際にジャヤワルダナ首相の左目は群馬県の女性に移植されている。
スリランカ最大の都市コロンボにはジャヤワルダナ首相の功績を讃えた資料館がある。そこには、当時の日本の総理大臣、吉田茂元首相と並んで映るジャヤワルダナ首相がいた。
実は、戦後の1951年、サンフランシスコ講和条約でのジャヤワルダナ首相の演説が戦後の日本を救ったと言われている。
サンフランシスコ講和条約では、日本と米国など48カ国が平和条約を調印したもので、その中では巨額の賠償や、敗戦国である日本を分割統治しようなどの案が出る中、ジャヤワルダナ首相のスピーチで状況は一変。ジャヤワルダナ首相のスピーチによって、日本は分割統治を免れたと言われている。
日本企業も多く進出するスリランカ
2010年、ニューヨーク・タイムズが世界で最も行ってみたい観光地として選んだことがきっかけで外国人観光客が急増。2016年は約200万人が訪れた。
8つある世界遺産はどれも神秘的。ブッダの歯が納められているという仏歯寺、オランダ統治時代に作られた城壁のゴール・フォート、さらにシーギリヤ・ロックなどがある。
そんなスリランカは今ビジネスの世界でも注目を集めている。もともと1970年〜80年代にもアジアで最も魅力的な国と言われており、多くの国から期待されていた。
しかし、スリランカは1983年から2009年まで内戦が続いており、治安が悪かった。
当時、日本の三井物産はスリランカに進出していたが、一向に内戦がおさまらない事もあり、2007年にスリランカから撤退していた。それが、2017年の今年、10年ぶりに事務所を再開することとなったのである。
三井物産は、スリランカの国会議事堂やククレガンガ水力発電所の建設に携わるなど、スリランカの礎を築いてきた。
スリランカは、アジアだけでなく、中東やヨーロッパ、アフリカにも近く、アジアからその他の地域への進出の中継点とも成りうる重要な拠点となる。したがって、スリランカ国内での情報収集には余念がない。
エクスポランカというスリランカの物流会社の倉庫には、日本で佐川急便を展開するSGホールディングスの馬場美奈さんがいた。この倉庫には世界中からの荷物が集まっていた。佐川急便では、これまで東南アジアの西に物流拠点を持っていなかった。そこで世界への足ががりとして、2014年にスリランカ大手物流会社を買収したのである。
今では約130社の日本企業がスリランカに進出しており、高級陶磁器メーカーのノリタケやアクセサリーチェーンの製造を行う中川装身具工業、化粧筆メーカーのUSUI BRUSH、パイロットや三井住友建設などが拠点を置いている。
スリランカでも中国企業が進出
スリランカで現在建設間近となっているロータスタワーというテレビ塔。東京タワーとほぼおなじ350メートルほどの高さの塔で、蓮の花がイメージとなっている。
そのタワーを作っているのは、中国の企業だった。さらに街の中の高層ビルを作っているのも中国企業である。さらに、ポートシティという約25万人が暮らす予定の人工島も中国企業がプロジェクトを推進していた。
しかし、中国はここスリランカでもやらかしていた。スリランカ南部の街の沖合いで建設中の大きな港。中国の融資で建設中なのだが、スリランカがその融資を返すことができず、その運営権が中国に渡ってしまった。その期間は99年。
さらに、極秘に入手した資料によると、港だけでなく、周辺の土地1万5,000エーカーも中国に譲り渡す事になっていたのである。
紅茶の一大産地で日本の有名メーカーが世界と対決
紅茶の中で日本人に最も馴染みがあるのが、1961年に日本初のティーバッグ紅茶を販売した日東紅茶。日東紅茶は三井農林が運営しており、スリランカでも厳選した品質の紅茶の茶葉を買い付けしていこうとしていた。
明治時代、紅茶は高嶺の花の高級品だった。三井農林はそんな紅茶を世に広めようと1938年に東京日比谷に日東コーナーハウスを出店した。さらに1950年には小田急ロマンスカー内に紅茶が飲める喫茶室である「走る喫茶室」をオープンした。その茶葉のほとんどがスリランカ産だったという。
しかし、近年、紅茶の国内消費量は減少傾向にある。その要因は、想像に難くないコーヒーの浸透によるものである。そんな中、日東紅茶は新商品「ORIENS(オーリエンス)」を発売。少し値は張るが、本当に美味しい紅茶を飲んでもらおうと香りを重視した商品になっている。
この商品はインドが原産だったが、インドで暴動が発生。その参加者が茶畑労働者だったため、調達できる茶葉の量が激減した。そのため三井農林はスリランカの茶葉を使おうと考えたのだった。
スリランカで茶葉を買い付ける場合、メーカーは直接買い付けることができず、オークションで専門のバイヤーに落札してもらわなければならない。そのオークション会場には、世界的に有名なブランド「リプトン」の担当バイヤーや英国王室御用達の「トワイニング」の担当バイヤー、フランスの老舗「フォション」など名だたる企業のバイヤーが姿を見せている。
コーヒーの産地だったスリランカ
スリランカはオランダ統治時代の18世紀頃まで、コーヒーが最大の輸出品であるほどの産地だった。しかし、1868年に葉っぱを枯らす「さび病」が大流行し、コーヒーの木が絶滅してしまったのである。この時、スリランカはイギリスの統治下にあったこともあり、コーヒーから紅茶を栽培するようになり、それから紅茶の栽培が栄えたのである。
しかし、いまそのコーヒーが復活させる動きが出てきている…しかも日本人によってである。その人物が吉盛真一郎さん(42歳)である。今から4年前の2013年にスリランカで初のコーヒー専門店をオープンさせた。
元々は前田建設の社員で10年前にスリランカにやってきた。ちょうどその頃、日本のJICA(国際協力機構)がスリランカの新たな産業を作ろうとスリランカコーヒー復活プロジェクトを開始させており、吉盛さんもそのプロジェクトに参加し、病気に強い180万本のコーヒーの木の植樹を行った。
しかし、2年の期限付きのプロジェクトだったため、期間的にも結果が出る前に終わってしまうと感じた吉盛さんは、前田建設を辞め、コーヒーを育てるという選択をしたという。
吉盛さんが、コーヒーを次なる産業にしたいと考えるには、もう一つわけがある。それはスリランカの人たちの生活向上である。紅茶農家の世帯年収は約2万円。この年収をさらに良くしたいというのである。