[ガイアの夜明け] ( イトマン事件 / レオパレス21 / グッドウィルグループ )追跡!マネーの”魔力” – 2017年12月26日

ガイアの夜明け
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こんにちは。ひとりで.comです。

2017年12月26日放送のガイアの夜明けは「追跡!マネーの”魔力”」と題してイトマン事件で有名な許永中氏へのインタビュー、不動産バブルでレオパレス21がすすめるアパート経営の実態、元祖ヒルズ族の折口雅博氏のいまを特集。

 

「カネ余りニッポンの裏側!」「沸騰!不動産マネーの光と影」「独占取材!元ヒルズ族・折口雅博氏」と題し、ニッポン人とカネをめぐる異変を追跡する拡大版。

 

【第1章:カネ余りニッポンの裏側!】

ごみ捨て場などから多額の現金が…いまニッポン各地で相次いでいる現象だ。人知れず、使われることもなく、塩漬けになっていたカネ。今後も思わぬ大金が発見されるのか?孤独死などによる遺品処分会社に密着。

 

【第2章:バブル再び?沸騰!不動産マネーの光と影】

ゼロ金利政策の中で、金融機関の不動産への貸出額はバブル期を超えて過去最高を記録。個人投資家による都心の不動産投資も活発だ。その一方、ゼロ金利で行き場を失ったマネーは、空前のアパート投資・サブリースに向かった。 首都圏から地方に駆け巡った、不動産マネー、これからどうなる?

 

【第3章:独占取材!元ヒルズ族・折口雅博氏】

「今だから語る…!あの熱狂の時代と今」1991年にジュリアナ東京をオープンした折口雅博氏。事業を急拡大し異色の起業家として名を馳せた。しかし、その後、会社内での数々の不祥事が報じられ、アメリカに渡り、メディアの前から姿を消した。再びバブルの機運を見せ始めたニッポンを、どう見ているのか?激動の時代の光と影を知る男を、独占取材!

 

 

追跡!マネーの”魔力”

 

イトマン事件」許永中氏

 

許永中氏。戦後最大と言われた経済事件に関わった人物である。これまでマスコミの取材を一切受けずにきた日本経済の表と裏を知る人物である。日本のさまざまな箇所に強いパイプを持ち、フィクサーと呼ばれてきた。

バブル時代には1日に数十億円ものお金を動かしていたとされている。

1990年、バブル経済の絶頂から転落は始まる頃、大阪の中堅商社イトマンという企業から絵画取引やゴルフ場開発などで約3,000億が引き出された。その行方はいまだにわかっていないとされている。この事件のカギを握るのが許永中氏と言われている。当時、許永中氏は大阪で数十社を束ねる実業家として名を馳せていたがその実態は謎めいていた。

許永中氏はイトマンに200点以上の絵画を売却し、およそ500億円もの取引を行った。翌年1991年に許永中氏は特別背任の疑いで逮捕された。

1997年、6億円の保釈金を積んで保釈されたが、保釈中に韓国に失踪した。その2年後、潜伏先のホテルで身柄を拘束された。そして裁判がはじまり、懲役7年6ヶ月、罰金5億円が確定した。

 

インタビューに応えた許永中氏は

イトマンとの絵画取引は”売買”ではなく、絵画を担保にした”融資”であった

と主張した。しかし裁判では実質的な売買で巨額の富を得たと認定された。

 

もう一方の主役が住友銀行である。当時のイトマンは住友銀行の商社部門として機能していた。そのイトマンは不動産開発などでも失敗しており、1兆円を超える負債を抱えていた。その多くを住友銀行が融資で支えていたのである。

 

許永中氏は1947年、在日韓国人8人兄弟の三男として大阪に生まれた。26歳の頃、知人のトラブルで暴力団組長から解決金5,00万円を引き出した。こうした事件がいろいろな人に知れ渡り、金銭トラブルが発生するたびにいろいろな場面に呼び出される”信用”へと繋がったのだという。いつしか、裏社会だけでなくさまざまな企業も彼を頼るようになっていったのである。

 

 

 

マイナス金利であふれるマネーが不動産に…

 

身寄りがいない高齢者が残していった現金や遺品などは、相続人がいない場合、国が引き取ることになっている。その遺産の国庫帰属額は年々増加しており、年間400億円にものぼりこの10年で2倍ほどになっている。

 

一方で、都内では土地の価格上昇と低金利も相まって、不動産投資を行おうとする人が増えている。金融機関による不動産への貸出金額は年々増えており、2016年には12.2兆円という過去最高の規模になっている。

 

こうした中、渋谷区のフェイスネットワークという会社は、投資家向けに不動産バスツアーを実施している。マンションの1棟売りが専門の不動産業者である。これまで超富裕層向けだったが、金融機関が「サラリーマン大家」を目指す高所得者向けにアパート・マンションローンを商品化してきたことにより、今まで不動産投資ができなかった人が融資をできるようになったのである。

 

 

アパート乱立、レオパレス21のサブリース事業

レオパレス21
レオパレス21

三重県津市の駅から10分ほどのとある地区では、今まで畑ばかりだった土地1キロ四方のエリアに約40棟のアパートが一気に立ったという。東証一部上場のレオパレス21のアパートである。レオパレス21の売り言葉は「一括借上システムで最長30年間の安心収入」である。

これはサブリースと言われる仕組みで、レオパレス21がオーナーから借りた資金でアパートを建設し、賃貸管理も含めてレオパレスが行い、手数料を抜いた金額をオーナーに支払う仕組みである。この際、空室があったとしても家賃保証を行なうことになっている。

賃貸アパートの建設は土地の価値が借金分差し引かれるため相続税対策となるとして土地オーナーからすれば魅力的な提案であった。

しかし、この地域は入居率が下がったことを理由に家賃収入の30%減額を提案してきたという。

 

レオパレス21のサブリース事業は1986年にスタートした。オーナーに対して一括借上げ、家賃保証を名目に管理物件個数を増やしてきた。しかし、近年レオパレス21に対して減額に対する訴訟が相次いで行われるようになってきている。

 

レオパレス21の契約者によれば、一括賃貸料は10年間変わらないとされているが、約300人のオーナーが10年未満で減額されたという。さらに10年以降はオーナーとレオパレス21で協議の上家賃を決める契約になっているが、一方的に減額を強いられた人もいるという。

 

レオパレス21は、リーマンショックの時期を境に大きく営業利益を下げることになった。その頃、社内に流れていたメールには、

終了プロジェクト

と名付けられた社内のプロジェクトがあったことが伺える。その内容は、

  • 原則10年経過している案件に関しては解約を前提として話をすすめる。
  • 10年未満は大幅な減額を行なう

というものであった。そして解約を辞さない強気の交渉を行うように指示されていたのである。

 

 

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元グッドウィルグループ会長・元祖ヒルズ族の折口雅博氏

グッドウィルグループ
グッドウィルグループ

ニューヨークの日本食レストランWOKUNI。日本から直送された新鮮な魚介類を取り揃えている。それを職人が目の前でさばくニューヨークでは珍しいスタイルである。

このお店をプロデュースしたのが元グッドウィルグループ会長の折口雅博氏である。

 

折口雅博氏と言えば、元祖ヒルズ族として知られている。1995年、人材派遣業グットウィルを創業し、六本木ヒルズに本社を構えていた。さらに1999年には介護事業を手がけるコムスンを買収し子会社化を行った。

グッドウィルグループを従業員10万人、売上高7,700億円にまで成長させた。しかし、2007年にコムスンで介護報酬の不正請求問題が発覚。行政からの処分を前に事業所を畳むなど、処分逃れも評価マイナスのきっかけとなった。

その後、グッドウィルグループは介護事業から撤退。人材派遣業でも違法な二重派遣問題も発覚し2008年に廃業となった。

 

現在、折口雅博氏の会社はニューヨークにある。その名はブロードキャピタルパートナーズUSAである。上場前の企業に投資を行い、事業を成長させ売却益を得ることをビジネスとしている。

約10年前、ニューヨーク進出の足がかりとしたのが、セレブの間で人気の日本食レストランMEGUである。その後、MEGUは有名になり、2号店を大統領就任前のトランプタワーに出店することになった。

 

1961年、東京で生まれた折口雅博氏。200坪の土地に高級外車とお手伝いさんがいる裕福な家庭だった。父は人工甘味料を製造する企業の経営者だったが、折口雅博氏が10歳になるときに父親の会社が倒産。その後一家は生活保護を受けるまでになった。

学費が払えないため、学びながら給料がもらえる陸上自衛隊少年工科学校に15歳で入隊した。給料7万円のうち、2万〜3万を親に仕送りしていた。その後、成績優秀者しかすすめない防衛大学校へ入学。次第に世界をまたにかける大きな仕事がしたいと思うようになったのだという。

卒業後は、当時総合商社だった日商岩井(現双日)に入社した。

 

 

2017年10月下旬、日本に戻ってきた元グッドウィルグループ会長の折口雅博氏。定期的に行っている日本の若手起業家との交流会を行っていた。今後、有望なベンチャー企業があれば日本の企業にも積極的に投資を行っていく予定があるという。

 

 

 

上昇し続ける株価に不動産の暴騰、2017年はバブル時代を思い起こさせることが次々と起こった。膨らみ続けるマネーは日本人の何を変えていくのでしょうか?今回、表と裏を知る人物たちの証言は印象的だった。およそ30年に及んだ平成時代の経済、新しい年は日本経済の夜明けを伝える号砲となるのか、おい続けていきたい。