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2018年1月25日放送のカンブリア宮殿は「負の連鎖を断ち切れ!老舗菓子メーカーが挑んだ感動の復活劇」と題してコロンバン社長小澤俊文(おざわとしふみ)さんが登場。
若者文化の発祥の地で知られる東京・原宿。そこにシニア世代から絶大な人気を集めているスイーツ店がある。
それが古くは「宮内省御用達」として知られた老舗洋菓子店「コロンバン」だ。
実は、コロンバンは、日本人にあった洋菓子の開発に取り組み、いわゆる「ショートケーキ」を世界で初めて作った店でもある。
だが、バブル景気の崩壊を機に、コロンバンの売り上げは右肩下がりに減少。2000年代に入ると、売上高は、ピークの3分の1にまで落ち込み、倒産寸前の状況に陥ったのだ。
そんな危機的な状況からコロンバンを復活させた人物が2006年に社長に就任した、小澤俊文だった。廃業寸前の洋菓子店を、老舗の伝統を活かしながらも、全く新しい組織に生まれ変わらせた小澤は、課題山積の企業をどうやって甦らせたのか?
驚きの発想で改革に挑んだ”スゴ腕経営者”の感動を呼ぶ再生物語に迫る!
負の連鎖を断ち切れ!老舗菓子メーカーが挑んだ感動の復活劇
若者の街原宿にある老舗のお菓子屋さん:コロンバン
東京原宿と言えば、言わずと知れた若者の街。しかしこの街に意外な一面が。若者を卒業したマダムの方々が訪れるコロンバンという喫茶店がある。創業94年で宮内庁御用達の由緒ある洋菓子が用意されている。
しかし、この街ただの洋菓子店ではない。例えば、日本ではおなじみのショートケーキ。このショートケーキはコロンバンが発祥だと言われている。
コロンバンと言えば、トリコロールの缶に入ったお菓子の詰め合わせのビスキュイ トリコロールが有名である。
50年以上前に販売開始となった贈答品の定番である。中高年から絶大な人気を誇っている。そんなコロンバンでは売れに売れている商品がある。それが、焼きショコラである。サクサクな食感と夏でも溶けにくいとあって評判を呼び、年間10億円を売り上げるヒット商品となっている。
そんなコロンバンの創業は、関東大震災の直後の1924年。創業者は宮内庁の菓子職人であった門倉国輝さんである。洋菓子を極めるため、単身フランスに渡りパリのコロンバン本店で修行を積んだ。そこでの働きが評価され1931年に銀座にパリのサロンをイメージした店舗をオープンさせた。
当時、時代の最先端を行く店と評判となり、川端康成や菊池寛などの著名人に愛されたという。そんな歴史あるコロンバンで変わらず人気なのが、アップルパイである。
このアップルパイにはあるエピソードがある。現在の天皇陛下が高校生だった頃、護衛の目を盗んで銀座に出かけ、コロンバンに入り、人気のアップルパイを召し上がったという。
コロンバンのロワイヤルボンボンというお菓子は現在でも7人の菓子職人しか作ることができないのだという。ヨーロッパ王室で古くから愛され続けている伝統のお菓子で、選ばれたパティシエの卓越した技術によって一粒一粒丁寧に創り上げた、お菓子の芸術品。すべての工程をパティシエが手作業で行い、商品が完成するまでに準備作業含め4日を要す。
そんなコロンバンでいま人気となっているのがはちみつプリンである。このはちみつプリン、カラメルの代わりにはちみつをかけて食べる。そしてこのはちみつは意外な場所で作られているという。それが、コロンバンの本社がある原宿のビルの屋上である。
原宿は周辺に皇居や赤坂御所、新宿御苑などがあるため、良質なはちみつが取れるのだという。
負の連鎖を断ち切る小澤俊文さんの施策とは?
東京浅草、そこにコロンバン社長の小澤俊文さんの姿があった。実は小澤俊文さん、暇を見つけては日本中の老舗の喫茶店に足を運んでいる。
店が長く愛される理由を探るため、必ず名物料理を食べるという。そして、お店に人に話を聞き、長く愛される秘訣を聞くという。
そんな小澤俊文さん、実は洋菓子とは関係ない道を歩んできた。
1976年に三和銀行に入行し早くから店長を任され、将来を嘱望される存在だった。しかし、2004年にコロンバンの経営立て直しのため出向を命じられた。実は当時のコロンバンは売上が6割も減り、倒産の危機に陥っていたのである。
バブル崩壊の煽りを受け、贈答品の需要が激減していた。それによってコロンバンは閉店ラッシュを余儀なくされていた。さらに工場縮小と社員のリストラと完全に負のスパイラルに陥っていた。
最盛期に100億円あった売上はその後みるみる減少し、2004年には40億円までに落ち込んでいた。問題はどこにあるのか、小澤俊文さんは現場を見て回った。すると店頭には日持ちする商品が全面に押し出されており看板商品のケーキは隅に寄せられていた。
さらに、接客の面でも
- コーヒーを待たせすぎ。
- 「少々待ちください」ではなく、「ちょっとお待ち下さい」という言葉遣い。
こうした問題点は実に300項目以上もあったという。
小澤俊文さんは、長年勤めた銀行に辞表を出し、コロンバンの社長に2006年に就任した。そこから大改革に乗り出した。
まず社員の本音を聞き出そうと考えた小澤俊文さんは職人たちを集めた席で、
店に生ケーキが置いてないけどみんなはどう思ってるの?
と切り出す。すると職人たちは…
前の社長が「日持ちしないケーキは出すな」と言った。それが会社の方針ではないのか。
本音を言えば、自分たちだって作りたい
という意外な言葉が出てきた。この情熱があれば必ず復活できる、と考えた。
しかし、新たなお菓子を作る機械を買うお金もない…。そうした矢先、工場で長い間動かした形跡のない機械を発見した。聞くと、チョコレート菓子を作るための機械で5年ほど動かしていないという。
小澤俊文さんは、これを使った新しいコロンバンの商品を作ろうとプロジェクトチームを結成した。
しかし、意外にも職人たちからの大きな反発にあったという。そうしたこともあって、1年半言い続け、2009年に東京サクサクチョコを発売するに至った。すると、発売するやいなや生産が追いつかないほどの販売となった。
こうした改革もあり、どん底時代には30億円をきっていた売上高が2017年には45億円までに戻った。
これまで指示をされて作っていた職人たちが自らのアイディアで商品開発を行えるような風土ができた。これによて、年間で提案される新商品は以前の3倍にまでなっている。
売場改革で4,400万→6億円
小澤俊文さんが商品改革の次に行ったのが、売場改革である。例えば、慶應義塾大学の生協では、慶應義塾大学のロゴが入ったコロンバンのクッキーが売られている。
新入生が応援してくれた祖父母向けに買ったり、サークルの卒業生向けの贈答品として喜ばれるのだという。こうして、コロンバンの名前は若者にも広まるようになった。
さらに大学だけでなく、宝塚歌劇団や楽天といったところともコラボレーションしクッキーを開発。これによって、これまで4,400万円ほどだったフールセックという商品は年間6億円の売上になった。
こうした改革をすすめていき、全国での販売拠点は1,200拠点に拡大。売上全体の75%がこうした販売拠点での売上となっている。