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2018年2月15日放送のカンブリア宮殿は「京都の老舗SP 「守って攻める!」320年伝統菓子の極意」と題して聖護院八ッ橋総本店 社長 鈴鹿 且久(すずか かつひさ)さん、聖護院八ッ橋総本店 専務 鈴鹿 可奈子(すずか かなこ)さんが登場します。
最近は、外国人客も急増するなどとかく注目を集める古都・京都の老舗企業を大特集!
320年以上、形を変えることなく京都の銘菓として知られる八ッ橋。その誕生と共に創業した聖護院八ッ橋総本店は、生八ツ橋に餡子を包んだ「聖(ひじり)」シリーズで知られる京都一の八ッ橋の老舗だ。
その長寿の秘密は、その名も”提灯経営”。時代の変化に合わせ、守る時には徹底して守る一方で、一見すると八ッ橋に見えないカラフルな新ラインアップを作るなど、攻めの経営にも打って出ている。
さらに、抹茶パフェや抹茶ゼリーで東京も席巻する、宇治の老舗茶卸の逆転の物語にも迫る。
京都の老舗SP 「守って攻める!」320年伝統菓子の極意
本格的な抹茶を使った抹茶をスイーツにして新たな活路を見出す中村藤吉
東京銀座の銀座シックスには銀座大食堂という新名所が誕生した。ここで味わえるのは、東京初進出の名店である。
その中でひときわ行列ができているのが、中村銘茶というカフェである。1年前に京都からやってきたお店でこの店の特別な抹茶パフェが有名となっている。
このお店は中村藤吉というお店で、京都で160年続くお茶の専門店である。今では、京都スイーツの先駆けだが、ここに至るまでには京都の習わしとの戦いがあったのだという。
中村藤吉の故郷は京都宇治市。宇治市は平等院鳳凰堂と宇治茶で知られる街である。中村藤吉は国内外に7店舗を展開している。
中村藤吉の始まりは初代当基地が1854年に創業し、当初はお茶の卸業を行っていた。大正時代には天皇家にもお茶を収める名店だったが平成に入ると茶葉のお茶が売れなくなり廃業寸前にまで追い込まれた。
その危機を乗り越え、躍進させたのが、6代目中村藤吉である。1992年に卸問屋を継いだ6代目藤吉は抹茶のソフトクリームを作りあげた。
これが口コミで評判となり、廃業寸前の中村藤吉を復活させたのである。
しかし、このやり方に周囲の同業者からは冷たい目が寄せられた。周囲に散々揶揄されながらも抹茶スイーツを作り続けたのである。
抹茶は温度に影響を大きく受け、すぐに風味などが飛んでしまう。したがって、抹茶で作った生ゼリィを作る際もゼラチンの温度をすぐに下げなければならない。
最適なゼラチン濃度と温度を1年間かけて探り出し、生ゼリィが生まれたのである。
こうした抹茶スイーツを看板に2001年にカフェをオープン。すると他所では食べられない本格的な抹茶スイーツが食べられると評判になったのである。
このカフェの成功により、卸専門だった時代から売上が10倍になったのだという。これによって周囲の評価も変わった。いまやカフェと小売の売上は全体の87%ほどに成長した。
八ツ橋で320年。守って攻める伝統経営
京都伏見稲荷大社は年間1000万人が訪れる観光スポットである。そこに店舗を構えるのが、聖護院八ッ橋総本店である。聖護院八ッ橋総本店と言えば、生八ツ橋である。もちもちの生地とあんこ、ニッキの奏でるハーモニーは観光客を魅了する。
生八ツ橋と並ぶ看板商品が焼いた八つ橋である。この八ツ橋という名前は江戸前期に活躍した琴の名手である八橋検校から取ったものである。検校の死後、供養に来る人のために聖護院の茶店で琴の形のお菓子を出したのが起源とされている。
数ある土産菓子の中でも選ばれている生八ツ橋。そのもちもち感を担っているのが、国産の米粉である。さらに八ツ橋の味を決めているのがニッキである。ニッキとは桂皮と呼ばれるシナモンの一種である。
聖護院八ッ橋総本店の工場では多い時には1日30万個の生八ツ橋を製造している。長年に渡って支持される銘菓は実直に作られていたのである。
聖護院八ッ橋総本店の創業は犬公方と呼ばれた徳川綱吉の時代で元禄2年(1689年)である。以来320年に渡り伝統の八ツ橋を作り続けてきた。
その経営哲学は昔から受け継がれている”ちょうちん経営”というものがある。景気が良くなれば伸びれば良いし、悪くなれば縮めば良い。そういった柔軟性のある会社を心がけているのだという。
守る経営をする一方で攻めの姿勢も忘れない。そのカギを握るのが一人娘で専務の鈴鹿 可奈子さんである。跡取り娘として現状の会社には危機感を抱いているのだという。
昔は観光客が増えれば増えた分だけ売上も増えていたが、今は様々な土産物が誕生していることもあって、そうはいかない。これまでの伝統を踏襲するだけでは無理
なのだという。
専務 鈴鹿 可奈子さんによる新たな挑戦
鈴鹿 可奈子さんは1982年生まれで兄弟がいなかったため、小さなころの遊び場は会社だった。従業員からよく八ツ橋をもらって食べていたこともあり、いつか家業を継ごうと考えるようになったのだという。
経営を基礎から学びたいと京都大学経済学部に進学。その後アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校でプレMBAコースを受講し最先端の経営学を身に着けた。そして、1年間社外で働いた後に2006年に聖護院八ッ橋総本店に入社した。
しかし、伝統菓子の業界は甘くなかった。
京都にやってくる観光客自体は2000年の2501万人から2016年には5522万人と倍増しているにもかかわらず、土産物にしめる八ツ橋の割合は減り続けていたのである。
こうした現状に危機感をいだき、社内改革に乗り出した。
まずはじめに手を付けたのが旧態依然とした人事制度である。昔からの年功序列制度を廃止しアメリカ式の成果型の評価制度に変更した。そして、なんとしてもやりたかったのが時代にあった新商品の開発であった。
ただし、聖護院八ッ橋総本店 では、新たに作る商品が100年商品なのかと常に問われ続け、満足のいくおいしさでなければ新商品は出さないとなかなか新商品にGOが出なかった。
そんな中で鈴鹿 可奈子さんが考えたのがこれまでとは違った層を振り向かせる商品である。新しいブランドを立ち上げ若い女性を取り込む戦略として、キャラクターを使った飽きない商品を開発した。
可愛らしい新ブランドは、ニッキから「ニキニキ」と命名した。
そして2011年、実験的な店舗をオープンし、思惑通り若い女性の中で話題となったのである。宣伝広告は一切うたなかったが、インスタ映えすると話題が拡散していったのである。
これにより、若い女性従業員が自身でデザインをするようになり、それが従業員のモチベーション向上にも繋がったのだという。