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2018年3月1日放送のカンブリア宮殿は「観光列車王国!JR九州。逆境をバネに挑む 新たな鉄客商売」と題して九州旅客鉄道(JR九州)の代表取締役会長 唐池恒二(からいけ こうじ)さんが登場。
今、一番元気と評判の鉄道会社「JR九州」。
世界一を目指して作られた豪華クルーズトレイン”ななつ星 in 九州”は、倍率20倍の人気を誇る観光列車だ。
だが、JR九州の躍進を支えるのは、鉄道事業だけではない。船舶、外食、不動産に農業など多岐にわたる。今では、非鉄道業で営業収益の6割を担うまでに成長。
その立役者、唐池会長に密着し、九州から元気を発信する多角化戦略、”新鉄客商売”に迫る!
観光列車王国!JR九州 逆境をバネに挑む 新たな鉄客商売
観光列車と鉄道以外事業で躍進するJR九州
鹿児島県薩摩半島の指宿市。指宿で有名なのが天然の砂蒸し風呂である。さらに駅前には竜宮城のようなオブジェがある。指宿には浦島太郎伝説が今でも語り継がれている。
その駅のホームには、白黒ツートンカラーの電車が行き来する。その名も「指宿のたまて箱」。駅に電車が到着すると、電車から白い煙のようなものが出る仕掛けがある。玉手箱の煙を模したものである。白黒のツートンカラーなのは、玉手箱を開ける前と開けた後の様子を模しているのである。
列車の中はふんだんに木を使ったレトロな雰囲気。街中を走ると街の市民が手を振ってくれるというサービス付。
指宿のたまて箱は指宿駅から鹿児島中央駅を2,140円で結び、1日3回往復している。
福岡県博多駅から出発する緑色の列車:ゆふいんの森。博多駅と由布院駅を1日2往復で結び、6,760円の料金設定となっている。名前通り、社内も森をイメージしたものとなっている。
かつては鄙びた湯治場に過ぎなかった湯布院が大勢の観光客で賑わうようになっていたのも、ゆふいんの森が一役買っていたのである。
列車で街を元気にする。このようなコンセプトからさまざまな列車を打ち出しているJR九州。そうした電車をD&S列車(デザイン&ストーリー)と命名している。
どれも乗ってみたくなる列車ばかりで、現在12本が運行している。
列車名 | 運転開始 |
---|---|
ゆふいんの森 | 1989年3月 |
いさぶろう・しんぺい | 1996年3月(専用車両は2004年3月) |
九州横断特急 | 2004年3月 |
はやとの風 | 2004年3月 |
SL人吉 | 2009年4月 |
海幸山幸 | 2009年10月 |
指宿のたまて箱 | 2011年3月 |
あそぼーい! | 2011年6月 |
A列車で行こう | 2011年10月 |
JRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」 | 2015年8月 |
かわせみ やませみ | 2017年3月 |
そのD&S列車の中でも特別な存在なのが「ななつ星 in 九州」(Seven Stars)である。7両編成で乗車定員はたったの30名(14組)である。半年ほどの予約受付は競争率が20倍ほどになるという。乗車料金は一般的な部屋で31万5,000円〜と安くない。
社内はまるで美術館のような巧みなデザインで施されており、列車のデザインは全て水戸岡鋭治さんが手掛けたものである。総工費は30億円に達したという。
こうしたD&S列車の狙いはどこにあるのか…。
九州旅客鉄道(JR九州)の代表取締役会長 唐池恒二さんいわく
今まで鉄道はA地点からB地点に行くための移動手段でしかなかった。乗ることが楽しく、乗ることが目的になる、そしてそれが観光資源そのものになっていく、そんな列車づくりを目指している。
と話す。
JR九州はこうした取り組みも相まって、7年連続の増収となっている。しかし、その内訳を見てみると、その6割以上が鉄道以外の事業で稼いでいるのである。実はここにJR九州の躍進の秘密が隠されている。
そのひとつが船舶事業である。JR初の高速船で博多と釜山を3時間で結んでいる。さらには、外食事業・ホテル事業・ドラッグストア事業など、さまざまな事業を展開している。いまや、JR九州は38のグループ会社を抱える巨大組織となっているのである。
国鉄の民営化、三島JRと揶揄されるJR九州
経営者としてもあちこちの講演でひっぱりだことなっている唐池恒二さん。今でこそ、こうして講演で話すまでに成長したJR九州だが、これまでのJR九州は逆境と屈辱との戦いだったのだという。
前身である国鉄(日本国有鉄道)は1949年、戦後間もなく発足した。高度経済成長とともの線路は日本中に伸び、国の運輸・物流を支える大組織となっていった。しかし、1970年代に入ると労使の争いが絶えなくなり、ストライキが頻発するようになった。当然、客も背を向け経営は火の車となった。
京都大学で柔道に明け暮れていた唐池恒二さんが国鉄に入ったのは、そんな1977年のことだった。当時は、仕事はしない、サービスは悪い、そういった絶望的な組織だったのだという。
それから、10年後、国鉄の負債は37兆円にものぼり事実上の破綻。当時の中曽根内閣は民営化という大鉈をふるい自主再建を目指す形となるのである。
民営化によって1987年に国鉄は、JR北海道・JR東日本・JR東海・JR貨物・JR西日本・JR四国・JR九州の7つに分割された。唐池恒二さんはJR九州に配属となった。
当時、JR北海道・JR四国・JR九州の3つのJRは「三島JR」と呼ばれ揶揄された。
国鉄時代からの赤字を受け継いでのスタートだった。そこで考えられたのがD&S列車であった。現会長の唐池恒二さんのアイディアだった。最初に考えたのが、ゆふいんの森だった。
ところが、苦労してようやく開業にこぎつけたオープンの日にまさかの辞令がくだされた。異動先が非鉄道事業だった。唐池恒二さんの異動先は1989年に新設されたばかりの船舶事業部だった。博多から韓国・釜山を結ぶ高速船のプロジェクトの一員となった。
唐池恒二さんの役割は韓国側の航路開拓だったが、反日感情が渦巻き、なかなか交渉が前にすすまなかった。そんな中でも年間40回にも及ぶ交渉を繰り返しようやく高速船の開業にこぎつけることができた。
ようやく軌道に乗り始めたところで、1993年には外食事業部へ異動となり、立て直しを任されることになった。そこは、毎年25億円の売上に対して8億円の赤字を出すお荷物事業とまで言われていた。
赤字の大きな原因は人件費。人員の多くは、JR九州の正社員だったのである。唐池恒二さんはまず店長以外の正社員を他の部署に配属させ、代わりにパートやアルバイトを雇い人件費を削減させた。そして、店長会議を頻繁に開き、コスト意識とサービス向上を徹底させた。
しかし、従業員のやる気や貪欲さを向上させることができなかった。そこで唐池恒二さんが導入したのが従業員同士の競争心をあげるための制度を導入した。
すると、従業員はやる気を取り戻し、3年で1,000万の黒字に転換したのである。
次々と事業を成功させた唐池恒二さんは、2009年にJR九州の社長に就任した。その2年後の2011年には悲願の九州新幹線の開業にこぎつけた。その後、ななつ星の開業やJR博多Cityという複合施設の開業、高齢者施設の開業などと躍進を続け、ついに2016年には東証一部に上場を果たした。こうして三島JRと揶揄された逆境と屈辱の歴史にピリオドを打ったのである。
鉄道会社が農業も?
JR九州は意外な事業にも参入している。そのひとつが羽田空港にある「うちのたまご」という行列店である。この「うちのたまご」では親子丼が振る舞われている。なぜ、人気が出たかというと、JR九州産の養鶏場でのたまごが人気だからである。
このたまごは、福岡県飯塚市の内野宿養鶏場という場所で作られている。多角化を進めるJR九州はJR九州ファーム株式会社という企業のもとで農業まではじめているのである。上質なたまごができるのは、上質な井戸水と天然飼料で育てられているからである。
九州における耕作放棄地が増える中で、なんとかこの農地を活用できないかと考え、農業をはじめたのだという。
現在、九州内に8つの農場を保有している。そこで大根や卵など14個の野菜を作っている。
JR九州の人事方針として、各事業のエースを新規事業に充てるようにしているという。既存事業は仕組みができているため、1人いなくなってもなんとか回していけるが、新規事業は1人の力が成功可否を大きく左右する。したがって、エースの人材を新規事業に充てることで成功できるようにしているのだという。