こんにちは。ひとりで.comです。
2018年3月22日放送のカンブリア宮殿は「人生100年時代に光を灯す!すご腕ドクターの最新医療スペシャル」と題して慶應義塾大学医学部 教授 坪田一男(つぼた かずお)さん、千葉西総合病院 院長 三角和雄(みすみ かずお)さんが登場する。
人生100年時代などと言われる高齢化時代に光を灯す、医療のイノベーターたちを大特集!一人目は、「眼」の最先端現場に立つ坪田。「老眼革命」や「ドライアイ」、さらには角膜治療の第一人者は、現代人の眼を守るため、最新治療を次々と編み出している。
もう一人は、予約不要、患者を断らない循環器内科医、三角和雄さん。体に優しい「心臓カテーテル治療」で日本一の症例数を誇るすご腕ドクターは、世界に類を見ない”6元同時治療室”での神業で命を救い続ける。
人生100年時代に光を灯す! すご腕ドクターの最新医療スペシャル
【目次】
カテーテル治療、年間3,000件:三角和雄さん
サラリーマンの田中正美さんが飛び込みで千葉西総合病院へ来院した。健康診断を受けて不整脈と言われ診察に来たという。午前中に撮ったCT画像を見ると心臓の部分の血管が閉まっており、狭心症の状態になっていたのである。心筋梗塞の一歩手前の状態だった。
現在、日本における死因の第2位が心筋梗塞などの心疾患である。年間20万人が心疾患で亡くなっている。
【日本人の死因】
1位 | がん |
2位 | 心疾患 |
3位 | 肺炎 |
4位 | 脳血管疾患 |
診察を受けた田中正美さんは、診察のあとそのまま手術に臨むという。詰まった血管の治療に使うのがカテーテルである。直径1.7mmほどの細い管を手首から入れていき、患部まで到達させる。
詰まった部分に到達するとバルーンと呼ばれる細長い風船を水圧で膨らまし、血管の太さを確保。そしてカテーテルの周りについているステントと呼ばれる金具も膨らみ、血管の太さを固定させるのである。
治療を終えた田中さんは自分の足で病室を出て、その日は入院。翌日には退院していった。
千葉西総合病院では予約は受け付けていない。飛び込みで来た患者をすぐに治療する。心臓カテーテルの分野では、年間約3,000の症例を行い、8年連続日本一の数値となっている。
それだけ多くの手術を可能にしているのが、”6元同時治療”である。
三角和雄さんが医者を目指したきっかけ
1957年に大阪で生まれた三角和雄さんが、医者を目指すきっかけとなったのが、小学校2年生のときにかかったリウマチ熱である。病気を治してくれる医者って良いなと思ったのがきっかけだったという。
東京医科歯科大学へ進み、夏期研修でアメリカへ行き、カテーテル治療を知ることとなった。当時、日本の心臓治療は胸を開く治療が主流で、カテーテル技術はアメリカと比較して10年遅れていた。
三角和雄さんは大学卒業後、再び渡米し12年の臨床ののち専門医の資格を取得した。そんな中で、ロータブレーターという器具を使った血管内部を削る治療を習得した。先端にドリルがついており、血管内部の詰まった部分を削ることができる。
カテーテル治療は以下の4点においてメリットがあると三角和雄さんは言う。
- 患者の負担が少ない
- 痛くない
- 入院期間が短く医療コストが安い
- 社会的負担が軽い
ドライアイの第一人者:慶應義塾大学医学部 教授 坪田一男さん
歳を取れば目は悪くなるもの。60歳で不動産業を営む原さんは老眼に加え、遠視・乱視・白内障を患っており、ほとんど近くのものが見えない状態となっている。使用しているメガネは上半分が遠視・乱視用、下が老眼用となっていて、1日が終わると目が疲れ果てているという。
そんな原さん、南青山アイクリニック東京でついに目の手術に踏み切った。ここで執刀したのが、慶應義塾大学医学部 教授 坪田一男さんである。ここでは、白内障に限らず、遠視・乱視も一気に解決できる手術が可能だというのである。
この3焦点眼内レンズは現在のところ保険が適用されず、両目で約120万ほどかかる。
慶應義塾大学医学部 教授 坪田一男さんはドライアイの研究で権威となっており、著書も40冊を超える。
ドライアイとは涙の不足などで目が乾く病気である。現代ではオフィスワーカーの3人に1人が悩んでいると言われている。ドライアイの分野で坪田一男教授は、世界の論文の引用数No.1となっている。
実は坪田一男教授自身もドライアイを患っており、メガネから水蒸気が出るメガネも開発したのだという。
日本における近視人口は約4,000万人いると言われ、その数は年々増え続けているという。坪田一男教授は近視予防のために、バイオレットライトの活用を促進させようとしている。バイオレットライトは太陽光に含まれている可視光線のひとつである。
実は、世界の研究の中には1日2時間以上外で遊ぶことが近視の進行を抑制するという発表もあるのである。
とある小学校では、坪田一男教授とともにバイオレットライトを浴びる活動を続けている。
日本の老眼人口は7,000万人?
日本の老眼人口は約7,000万人と言われている。そもそも老眼とは物質を映し出す水晶体が年とともにながくなり、近くのものにピントが合わなくなった状態のことを指す。
対処法としては老眼鏡や遠近両用のコンタクトレンズを使用することであるが、あまり知られていないのが、モノビジョンという方法である。
モノビジョンとは、片方の目は近くのものを見れるように、もう片方の目は遠くのものを見れるようにすることで、遠近両方見れるように視力を調整することである。
モノビジョンを実現するためには、左右のコンタクトレンズに差をつけたり、レーシック手術を行ったりすることで可能となる。
日本になかったアイバンクを作り上げた坪田一男教授
坪田一男教授は1955年、東京の両国でガラス問屋の長男として生まれた。慶應義塾大学医学部を卒業し、アメリカのハーバード大学に留学。そこでは、角膜移植の臨床研究に携わった。アメリカの医師免許も取得し、外来患者を見て腕を磨いた。
帰国後は角膜移植の専門医として総合病院に入ったのだが、そこで大きな問題が起きた。1980年代後半、日本における角膜移植手術は年間1,500件ほどだったが、待機患者は2万人ほどいたと言われる。それだけ角膜が足りない状況だったのである。
一方、アメリカで行われていた角膜移植の手術件数は年間4万5,000件。法律が整っていたため、ほとんど待機なしで手術を受けることができるのである。
この状況を打破するために坪田一男教授が取ったのが角膜の輸入である。税関に行き、
アメリカから角膜を輸入したい
と直談判した。
法律上、輸入してはいけないと書かれてもいないため、なんとか輸入する方法を考えたのである。アメリカにおける角膜の保存期間は約1週間。しかし、実際には使いきれずに余っているという状況も知っていたため、アメリカ時代の人脈を活かし輸入を取り付けた。
しかし、坪田一男教授は
輸入に頼っていては救える数に限界がある
そう感じ、自身でアイバンク(=角膜を貯蔵しておける仕組み)を作り上げたのである。そこに日本にこれまでいなかった移植コーディネーターという専門職を置き、死亡者から角膜の同意を取り付け、手術対象者への提供を行う仕組みを作り上げたのである。