こんにちは。ひとりで.comです。
2018年5月8日放送のガイアの夜明けは「東京”新名所”ウォーズ」と題して東京の新名所:東京ミッドタウン日比谷を特集します。
都心で、大手デベロッパーの開発競争が繰り広げられている。「東急プラザ銀座」を開業させた東急不動産、「GINZA SIX」でコーディネート役を担った森ビル、丸の内の「三菱村」化を進める三菱地所・・・。
そして3月末、日比谷エリアで三井不動産が「東京ミッドタウン日比谷」を開業させた。三井不動産の日比谷の開発にかける思いと、そこを舞台に新たな挑戦を始める企業を追う。
東京”新名所”ウォーズ
東京の新名所:東京ミッドタウン日比谷
東京銀座周辺における再開発がここ数年加速している。2年前に東急不動産が建てた東急プラザ銀座、1年前に森ビルが建てたGINZA SIX、そして2018年は三井不動産が日比谷に東京ミッドタウン日比谷を開業させた。
日比谷は明治維新以降、日本の近代化を象徴する町として発展してきた。かつて外国人をもてなすための近代的な社交場である鹿鳴館があったほか、三井財閥の経営会議が開かれる三井有楽町集会所という場所もあった。
三井不動産にとっても日比谷はまさにゆかりの地なのである。
その日比谷に経つ商業ビルに東京ミッドタウンという名前を付けた。ミッドタウンと言われると六本木にあるそれをイメージする人が多いだろうが、それも三井不動産が2007年に手掛けたものである。
差別化の重要なポイントなるのが飲食店である。その飲食店の誘致を担当したのが三井不動産の商業施設本部の村田麻未さんである。彼女は、多い日には1日5件〜6件のお店を食べ歩き自らの目と舌で魅力的な店を開拓してきた。
そして、日本はもとより、アメリカ・フランス・スペインなど6つの国をまわり、これは、と思えるお店を誘致してきた。
その中でも村田さんが誘致にこだわったのが、目黒に店舗を構えていたモルソーというカジュアルフレンチのレストランである。この店のオーナーシェフが秋元さくらさんである。日本航空の客室乗務員から転職したという異色の経歴の持ち主である。
村田さんは秋元さんを半年かけて口説き落とし、目黒のお店をしめて東京ミッドタウン日比谷に出店する決意を固めさせたのである。
東京ミッドタウン日比谷でのモルソーの新店舗は旧店舗の約4倍で、運転資金もおよそ4倍。まさに退路をたっての大勝負である。その秘密兵器が薄さ0.01ミリまでチーズを削れる機械の導入である。鰹節削り器を製造している老舗の町工場に言って特注したものである。これを使って、新たなメニュー作りを考えていたのである。
2018年ね3月末、東京ミッドタウン日比谷のオープンとともにモルソーの新店舗もオープンを果たした。オープン初日からお客さんの入りは上々で数ヶ月先まで予約が入っているという。
有隣堂が運営するヒビヤセントラルマーケット
一方、他にも東京ミッドタウンに出店を決めた企業がある。それが有隣堂である。有隣堂は神奈川県を中心に、東京・千葉に36店舗を展開している書店である。昔ながらの書店のビジネスモデルに危機感を感じているのが、専務の松信健太郎さん(45歳)である。
書店事業は、ネット通販などの台頭などによって売上が激減しており、有隣堂も本の販売事業は3期連続の赤字となっている。
有隣堂の創業は1909年、横浜市伊勢佐木町でオープンした。6代続く同族経営で、松信健太郎さんは現在の社長の長男である。3年前に専務に就任した。三井不動産から東京ミッドタウン日比谷への出店の勧誘を受けたのが、ちょうど専務になった頃で、自ら責任者となって挑戦することにしたのだという。
有隣堂が入るテナントの場所は東京ミッドタウン日比谷の3階の大きなスペース。三井不動産から紹介を受けたクリエイティブ・ディレクターの南貴之さん(42歳)とどのような店舗にするのか考えていくという。
南貴之さんは、客を呼ぶ仕掛け人と言われ、これまで有名ショップのデザインや演出を手がけてきた。その手腕は業界でも高く評価されている。
今回、南貴之さんが提案するのは、書店という枠を超えて、この場所でなんでも揃うひとつの街にしてしまおうという壮大なものだった。
その名も
ヒビヤセントラルマーケット
である。アパレルショップや理容室、居酒屋など9つの店舗を全て有隣堂が自社で運営するというものである。
松信健太郎さんは有隣堂本社の会議にて、ヒビヤセントラルマーケットのコンセプトを発表するも、社長からの反応は「わからない」のひと言。また銀座シックスなどに比べても日比谷の立地が悪いことも懸念していた。
それ以外にも、今回ヒビヤセントラルマーケットを作るにあたってかかる初期投資が約2億円となっており、これは有隣堂の年間の営業利益の約6割に当たるというのである。まさに失敗は許されないプロジェクトなのである。
ヒビヤセントラルマーケットでは、こだわり抜いた商品を使うという南貴之さん。大谷焼は約230年の歴史を持つ徳島の伝統工芸でその窯元の食器を居酒屋で使おうとしていた。さらに昔ながらの理容室の問屋でバリカンやドライヤーなども揃えた。また、仕入はロサンゼルスにまで及び、ハーマンミラーというメーカーのアンティーク家具なども仕入れるという。松信健太郎さんにはまったく想像できない世界だった。
南貴之さんのこだわりは、細部に渡り、施工が大幅に遅れ、さらに初期投資が2億円から7,000万ほど増加していた。口を出すべきか出さざるべきか、松信健太郎さんは葛藤にかられていた。結局、口を出すと南貴之さんの趣旨から外れてしまうため、口を出さずにぐっとこらえることにしたという。
オープンから、ヒビヤセントラルマーケットには多くの人が入り賑わっていた。4月の売上は5,500万円に達し、当初目標としていた数値を達成した。この調子が続けば、膨らんだ投資も回収できそうだという。
東京ミッドタウン日比谷の2018年4月の来場者数は約310万人となった。これは、初年度の目標1,200万人の約4分の1を超える結果となった。東京ミッドタウン日比谷を手掛けた三井不動産は将来を鑑みて帝国ホテルの筆頭株主になったり、隣接するオフィスビルの取得も行った。いずれはこの日比谷のエリアを再開発することも見据えてのことである。東京ミッドタウン日比谷の成功はその重要な第一歩となるのである。
ミッドタウン日比谷の誕生で、日比谷の街にあたらな活気が生まれた。しかしそこから見える大手町をはじめ、大規模な再開発がすすむ渋谷など今後も都心で新名所を作る動きが加速していきます。
新しいランドマークを作って終わりではなく、これからも常に魅力を発信し続けられるか、本当の戦いはこれからである。