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2018年5月24日放送のカンブリア宮殿は「「救急医療」で地域の信頼を勝ち取った 苦境・地方病院の復活劇!」と題して相澤病院理事長 相澤孝夫(あいざわ たかお)さんが登場。
平昌五輪・日本スピードスケート女子で初めての金メダルを獲得した小平奈緒。大学を卒業後、所属先が見つからず困っていた小平選手を”地元の選手として応援したい”と受け入れた病院がある。それこそ、相澤孝夫理事長が率いる長野県松本市にある相澤病院だ。
この病院の最大の特徴は「24時間365日、どんな患者でも受け入れる」とした基本理念にある。地元・松本市民は、どんな時でも受け入れてくれる相澤病院を「最後の砦」と呼ぶほど、信頼しているという。
実は相澤病院、かつては6年連続の赤字に苦しむ地方病院だった。その赤字病院の改革を断行し 全国の民間病院から注目される病院を作り上げた人物こそ相澤理事長。経営が苦しい地方病院でありながら、一般的には儲からないと言われる「救命救急」に特化させて、地域からの信頼を勝ち取り、地域に必要とされる病院に生れ変わらせた相澤改革の舞台裏に迫る!
「救急医療」で地域の信頼を勝ち取った 苦境・地方病院の復活劇!
救命救急センターで全国の先駆けとなった相澤病院
記憶にも新しい、平昌オリンピック、女子スピードスケートで金メダルを獲得した小平奈緒選手。2009年に大学を卒業後、所属先が見つからず、長野県にある相澤病院に職員として採用された。しかも、練習に専念してもおうと仕事は免除し、給料や留学費用、遠征費など1億2,000万円を支援してきたという。
その英断を下したのが理事長の相澤孝夫さんである。
今回、一躍有名になった相澤病院だが、地元では非常に信頼されている病院なのである。その秘密が救命救急センターにあるという。救命救急センターは救急医が2名、研修医が2名、看護師が7名という体制である。
この人数で1日100人の患者を対応しているという。
相澤病院では、全診療科の専門医が24時間体制で待機しているのだ。だから、救急医は、救急センターに来た患者の原因を特定するとすぐに専門医に治療をお願いする。
この救急医は診断に徹し、治療は専門医が行うというチーム医療こそが相澤病院の最大の武器なのである。
救命救急センターでは、1日100人もの患者を看ているため、治療が重なってしまうこともたびたびある。そんなときに重要なのが、どの患者を優先的に看るべきかという判断である。状況を見ながら、トリアージボードと呼ばれるホワイトボードに赤から緑まで3段階で表示させ、スタッフはそのボードをもとに優先順位を判断していくのである。
一般的に救命救急センターは重症患者である3次救急を受け入れる施設だが、相澤病院ではどんな軽症の人でも24時間受け入れる体制を取っている。
こうしたポリシーもあって、相澤病院には働きたいと志望する職員が多く、現在医師148名、看護師345名、病床数は502床という規模になっており、毎年100名以上が新たな仲間となっている。
累積赤字17億に陥った相澤病院が奇跡の回復
日本の病院を束ねる、日本病院会の会長も務める相澤孝夫理事長、普段は全国を飛び回っており、長野県松本に戻ってくるのはほとんど週末のみである。理事長室には、還暦を迎えた際に決めた人生訓が貼られている。そこには、
- 失敗を恐れず失敗に懲りず、理想を求めて常に前向きでいること
- 成功に浮かれず、常に学び取ろうとする謙虚さと燃え滾る情熱を失わないこと
- 生と人生の素晴らしさと不思議さを感じ取れる感受性を持ち続け、感動を人と共有する心の豊かさを大切にすること
と書いてある。
相澤病院は相澤孝夫理事長の祖父が1908年に開院した小さな診療所だった。大きくなったのは父親の代からで、長野県松本市を代表する総合病院となった。しかし、1981年に父親が急逝し、信州大学の研修医だった、相澤孝夫理事長が呼び戻され、副院長に就任した。
そこで目の当たりにしたのは、今の相澤病院と違った現場の医療状況だった。医師同士の連携は取れておらず検査機器の前で患者同士が行列を作るような自体も多くあった。
さらに、医師たちの過重労働が深刻化しており、病棟の閉鎖や創業以来はじめての赤字転落に陥り、その後累計17億円の赤字となったのである。
1994年に理事長に就任すると、地域からの信頼を取り戻すために大きな決断を図ったのである。
それが、救急医療への特化である。
救急医療は、医師だけの努力では決して成り立たない、関係者たちが団結して行わないと成り立たない医療である。
したがって、救急医療に特化することによって、関係者の意識改革を行うとともに、地域住民の信頼を取り戻そうとしたのである。そして2001年に救命救急センターを設立した。
救命救急センターは、患者がどのくらいやってくるかは予想ができず、なおかつ常に医師が待機していなければならないという難しい分野であり、一般的には運営が難しいとされている。
そこで、相澤孝夫理事長が考えたのが、地域の開業医とのネットワークである。開業医は通常、つながりのある救命救急センターを自ら探し、そこに送り込むものだが、相澤病院が24時間365日受け入れるということを条件に各開業医に患者を送り込んでくれるように伝え、ネットワークを構築したのである。
少子高齢化社会の次なる一手
少子高齢化が進む中で、どうしてもこれまでの病院運営では経営を成り立たせていくのは難しくなる。そのことを理解している相澤孝夫理事長は、すでに次の一手の取り組みを始めていた。
それが相澤東病院である。狙いは、救命救急センターと自宅の橋渡しとしての役割である。日本初の在宅復帰の支援病院である。
この病院では、家に帰ったときに不自由なく過ごせるように、病院内で料理のリハビリを行うなどのサービスを提供している。
さらに、在宅医療のサービスも行っている。相澤病院では、在宅医療専門スタッフを170人も抱えている。この数は日本でも屈指の数である。退院後の患者さんに対しても実際に自宅にいき、状況を確認しているのである。