こんにちは。ひとりで.comです。
2018年8月26日放送の知られざるガリバー〜消費者の知らないエクセレントカンパニー〜は「日東工業株式会社」と題して、
電気・電子機器収納を目的とし、外部の環境から内部機器を保護する標準キャビネットで国内トップシェアの日東工業株式会社。
その他、ブレーカーなどが収納されている分電盤や、ネットワーク機器を守るシステムラックなども製造・販売。総製品数は、3万5千に及ぶ。質の高い製品を作るために、防塵、防水、耐震など徹底した試験を日々繰り返す「信頼を生むモノづくり」の神髄に迫る。
標準キャビネットで国内トップシェアの日東工業株式会社
製品数35,000点!日常に潜む日東工業の標準キャビネット
ブレーカーが入っているハコやAEDが入っているハコ、これらを標準キャビネットと言うが、この標準キャビネットの分野で国内トップシェアを誇るのが日東工業株式会社である。
愛知県長久手市に日東工業株式会社の本社がある。現在日東工業株式会社を率いるのが取締役社長の佐々木拓郎さんである。4年前にいまのポジションに就任した。
発電所からの電気を変圧してそれぞれの場所に配電を行う分配電盤の製造を主な事業としている。その製品は約35,000点にものぼるのだという。
この標準キャビネットは屋外に置かれることも多いため、塗料が雨や風などでとれないように粉体塗料という硬度が高い塗料を使用している。
日東工業株式会社は従業員3,100人、年商は1,080億円を誇る。国内に10ヶ所、海外に3ヶ所の生産拠点を持っている。そんな日東工業株式会社の強みのひとつが、最近の異常気象にも耐えうるような試験設備を持っていることである。
キャビネットという製品の性質上、どうしても内部に温度がこもってしまうため、どのくらいの温度になるのかなどについてもきっちりデータとして解析を行っている。
日東工業株式会社では、キャビネット製品以外でも多く使われているある製品の製造を行っている。それが、サーバーラックである。サーバーラックは特に耐震性が必要とされており、地震が起こっても揺れでサーバーが落ちたり壊れたりしないようにサーバーラック上に工夫が施されているのである。
戦後復興で電気に目をつけた創業者と阪神淡路大震災からの学び
日東工業株式会社の創業者の加藤陽一さんは1948年、愛知県瀬戸市で設立された。創業当時はブレーカーの前身である製品を開発していた。戦後復興にあたって、今後は電気の需要が大きくなると見越したのだという。
そして、その後はさまざまなスイッチを開発し、企業へ納品を行っていた。この技術は今でも受け継がれており、現在でも数種類のブレーカーを製造している。
そして、1967年に鉄製のキャビネットの製造販売をスタートさせた。すると、これが安くて丈夫であると評判になり大ヒット。以後、キャビネットの日東工業株式会社と言われるようになったのだという。
そして、さらに日東工業株式会社にとって、大きなきっかけとなったのが、1995年の阪神淡路大震災である。震災が起こって、電気の分配や配分を行う日東工業株式会社にとって、いかにキャビネットから事故を起こさないか、ということを追求するようになり、大規模な試験場まで作ったのだという。
地震大国日本において、地震が起きても壊れたりしないキャビネットを開発したり、自動で通電がなくなるブレーカーなど、地震による被害が広がらないような研究開発を行ってきたのである。