こんにちは。ひとりで.comです。
2017年9月14日放送のカンブリア宮殿は「途上国から世界に誇れるブランドを!女性起業家が挑む新たなビジネス」と題してマザーハウス 社長兼デザイナー山口絵理子(やまぐちえりこ)さんが登場します。
アジア最貧国と言われるバングラデシュの天然ジュートやレザーを使ったバッグを中心に、ストールやジュエリーなどの製造・販売を手掛けるマザーハウス。今や国内に22店舗を展開し、海外にも6店舗を構えている。
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」。創業11年目を迎えたマザーハウスが掲げる企業理念だ。学生時代に世界の貧困問題に関心を持ち、大学卒業後、22歳でアジア最貧国と言われるバングラデシュに渡った山口絵理子さん。
そこで、貧しい人たちに光を当てようと現地の労働力を使って世界に通用する一流のバッグ作りを思い立った。挫折を繰り返しながらも前に進む、女性企業家の奮闘に迫る!
途上国から世界に誇れるブランドを! 女性起業家が挑む新たなビジネス
途上国で良い商品を!マザーハウス
レザーを中心としたオリジナルバックの店、マザーハウス。レディースだけでなくメンズのバックも豊富に揃っている。お客の心を捉えているのは、その軽さと革の柔らかさ。
マザーハウスはただ、モノを売るということだけでなく、途上国に貢献したいという社長の山口絵理子さんの想いから始まった会社である。
※マザーハウスは2017年3月に未来世紀ジパングでも以前特集されています。
マザーハウスの本社は東京台東区にある。創業2006年で社員数は140名ほど。この5年で急成長を遂げ、現在全国で22店舗を展開。台湾と香港にも6店舗あり出店攻勢を続けている。
マザーハウスにおいて山口絵理子さんは唯一のデザイナーである。これまで販売した全ての商品のデザインを山口絵理子さんが手がけている。そのやり方はデザイン画ではなく、立体的な模型を作る方法を取っている。
マザーハウスの工場はバングラデシュにある。バングラデシュは日本の半分以下の国土しかなく、その中に1億6,000万人が暮らしている。そして人口の75%が1日2ドル未満生活を余儀なくされているアジアの最貧国である。
ここ数年、政情不安から市民の暴動も頻発している。バングラデシュの安い人件費を求め、世界の縫製工場が林立している。しかし、バングラデシュの労働者は安い賃金と劣悪な労働環境で働かされているのが実情である。
首都ダッカから車で2時間の場所にマザーハウスの自社工場がある。委託ではなく、自社工場を構えているのは異例のことだという。山口絵理子さんは1年の半分以上を途上国で過ごしている。
山口絵理子さんは、この工場でテーブル制という仕組みを取り入れている。テーブル制とは1テーブル6人で編成し、商品の完成まで全工程に関われるようにした。決められた分業制とは異なり、ここで働く人々は全ての技術を学ぶことができモチベーションアップにもつながるのである。
この工場で働く人々の給与は、平均的なバングラデシュの製造業が約1万1,000円の月給に対し、マザーハウスでは約1万6,500円とおよそ5割増しとなっている。さらに、バングラデシュでは珍しい医療保険や無利子の社員向けローンを導入している。
マザーハウスで働くと人々の生活が変わるという。とある社員は以前はハウスキーピングをしていたが、待遇が良いということでマザーハウスに移ったという。家には立派な冷蔵庫があり、給料も3倍にアップしたのだという。
マザーハウスという社名の由来は、山口絵理子さんが大学院生の頃にバングラデシュで過ごしており、そのときにマザー・テレサさんをすごく尊敬していたことと、住んでいたアパートから外を見下ろした時に外で寝ている人が数多くいたため、第2の家のようなブランドになりたいというところからマザーハウスという名前にしたのだという。
村上龍氏の「ビジネスと社会貢献のバランスをどう考えているのか?」
という質問に対し、山口絵理子さんは
ビジネスと社会貢献は切り離して考えていない。何が社会貢献なのかはわからない。どうしてビジネスと社会貢献をわけなければならないのかという想いが根本的にあるし、両立できると考えている。
しかしそれに対し、「それは理想的過ぎる。ビジネスは誰かがババを引く」と言われた。ただ、誰かがババを引かなくてもビジネスは成り立つのではないか、と疑問に思い11年が経った
と答えた。
山口絵理子さんがマザーハウスをはじめたきっかけは?
日本では、講演の依頼がひっきりなしで全国を飛び回っている山口絵理子さん。自分はいかにして夢をカタチにしたのか、その話に多くの人々が話に聞き入るのだという。
そもそもなぜ山口絵理子さんは途上国ビジネスをはじめたのだろうか。
1981年、埼玉県で生まれた山口絵理子さん。小学生時代はいじめに会い、登校を拒否したこともあったという。そしてその反動から中学時代は非行に走り、授業をサボるのが日課になっていた。
そんな彼女が立ち直るきっかけとなったのが、柔道である。金髪を黒く染め、日夜練習に励んだ。その道を極めようと強豪柔道部がある大宮工業高校へ入学した。
男子部員しかいない柔道部ではじめての女性部員だった。そこで毎日しごかれ毎日泣いていたのだという。そうした辛い練習が実を結び、全国7位となった。そして部活を卒業すると猛勉強をはじめ、開校以来はじめて受験で慶応大学にストレートで合格したのである。
大学の経済学の授業で、世界には教育すら受けられない人が何億人といて、そういった人たちには国際協力が必要だ、という言葉に衝撃を受け、大学4年のときにアメリカの国際機関でインターンとして働くようになった。
そして途上国の現状を自分の目で見てみたくなり、バングラデシュに飛び立ったのである。
そこで目の当たりにしたのは…援助が届いていないという現実である。すると、山口絵理子さんは現地の大学院を訪れ、入学試験を受けさせてくれと直談判し、大学卒業後2年間、バングラデシュの大学院に通うことを決意したのである。
そして現地で暮らす中、ものづくりに取り組むきっかけに出会った。それがジュートと呼ばれる麻袋との出会いである。
調べてみると世界のジュートの9割がバングラデシュ産だった。この麻袋を使う技術があるのであれば、かわいいバッグなどを作ることもできるのではないかと思いついた。そこで、ジュートでできたバッグを160個、バングラデシュで作ってもらい日本に持ち帰って売り切ったのである。
そして2006年にマザーハウスを設立。資金作りのために焼肉店や量販店でアルバイトを行い、それを元手にバングラデシュでバッグを作ってくれる工場を探した。
最初に頼んだ工場は納品日に訪れたところもぬけの殻になっていた、さらに別の工場では送られてきた商品が全て不良品だったことも…そうした経験から自社工場を作るしかないと心に決めたのである。
そして、2008年にたった3人で自社工場をバングラデシュに設立するのである。今ではバングラデシュの工場は200人の現地の人が正社員で働くまでに成長したのである。
ネパールの伝統工芸シルクのストール
ヒマラヤの国、ネパール。一人あたりのGDPはアジア最下位である。この国でも山口絵理子さんは2009年からものづくりをはじめている。
ネパールではバッグではなく、別のものを作っている。それがネパール産のシルクのストールである。数少ないネパールの伝統工芸品である。しかし、近年ネパールの養蚕農家は減り続けており、2007年に約1,000軒あったものが今では約100軒ほどになっている。
ネパール各地の養蚕農家から集めたシルクは首都の提携工場に集められる。その量は年間4トンにもなる。それをストールにするのは地元の主婦たちである。
マザーハウスでは、ネパール以外でもインドネシアでは線細工を使ったジュエリーを、スリランカでは石を使ったジュエリーを製造している。
さらに、カンブリア宮殿放送後、山口絵理子さんが自社のウェブサイトで「本人補足事項」としてブログをアップされていますので、こちらも参考ください。